中国の思想家。広西省出身。1917年以後北京(ペキン)大学でインド哲学を講義。1922年に出版した『東西文化および哲学』は西洋およびインドの思想を批判して中国の伝統思想を称揚した。1924年以後「新儒教主義」の立場から山東省で郷村建設運動を試み、ついで河南省でも村治学院を創設、理想的な農村建設と教育に取り組んだ。日本の権藤成卿(ごんどうせいけい)ら郷村運動の一派と意見を交換したこともある。新中国成立後、中国人民政治協商会議全国委員。農業合作化に反対して、その「村治」理論が批判された。のち中国文化書院の主席。
[安藤彦太郎]
『野村浩一・近藤邦康・村田雄二郎編『新編 原典中国近代思想史 第5巻――国家建設と民族自救』(2010・岩波書店)』
1893~1988
中国現代の哲学者,思想家,教育者。北京に生まれる。原籍は広西桂林の人。辛亥(しんがい)革命に参加。革命後は出家して仏典を研究。のち蔡元培(さいげんばい)に認められ北京大学で教鞭をとった。1920年代末から農村社会の救済復興を主張し,郷村(きょうそん)建設運動を実践した。日中戦争中は中国民主同盟の代表として活躍した。中華人民共和国成立後は大陸にとどまったが,53年共産党の農村政策を批判して「反党分子」の烙印を押された。80年代になり再評価の声が高まっている。
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…それに対して,第1次大戦の傷跡の大きさを目撃,ヨーロッパでも〈西洋の没落〉が論じられだしたことをうけて,西洋文化の物質偏重を排し東洋の精神文化を見直そうという声が,胡適らの〈全面的西洋化〉論に反発する伝統主義者のなかからあがった。欧州の旅から帰国し科学の破産を叫んだ梁啓超の《欧遊心影録》(1919)を端緒に,辜鴻銘(ここうめい)は東洋文明こそがよりよき人間をつくると説き,北京大学でインド哲学を講じた梁漱溟は《東西文化及其哲学》(1922)を書いて,中国文化,インド文化によって西洋文化の弊害を救おうと主張し,〈東方に帰れ〉と述べた。23年以降,この論争は,科学万能主義に反対する張君勱(ちようくんばい)と科学を重視する丁文江らによる〈科学と人生観〉の論争にひきつがれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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