梁漱溟(読み)リョウソウメイ

デジタル大辞泉 「梁漱溟」の意味・読み・例文・類語

りょう‐そうめい〔リヤウ‐〕【梁漱溟】

[1893~1988]中国思想家広西省の人。「東西文化および哲学」を著し、中国の伝統思想称揚、次いで、理想的農村建設運動を実践。民主同盟創立に参加。新中国成立後、中国人民政治協商会議全国委員。リアン=シューミン。

リアン‐シューミン【梁漱溟】

りょうそうめい(梁漱溟)

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精選版 日本国語大辞典 「梁漱溟」の意味・読み・例文・類語

りょう‐そうめいリャウ‥【梁漱溟】

  1. 中国の思想家。広西省の人。「東西文化および哲学」を著わし、中国の伝統思想を称揚、次いで、理想的農村建設運動を実践。民主同盟創立に参加、新中国成立後、中国人民政治協商会議全国委員。リアン=シューミン。(一八九三‐一九八八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梁漱溟」の意味・わかりやすい解説

梁漱溟
りょうそうめい / リヤンシューミン
(1893―1988)

中国の思想家。広西省出身。1917年以後北京(ペキン)大学でインド哲学講義。1922年に出版した『東西文化および哲学』は西洋およびインドの思想を批判して中国の伝統思想を称揚した。1924年以後「新儒教主義」の立場から山東省郷村建設運動を試み、ついで河南省でも村治学院を創設、理想的な農村建設と教育に取り組んだ。日本の権藤成卿(ごんどうせいけい)ら郷村運動の一派と意見を交換したこともある。新中国成立後、中国人民政治協商会議全国委員。農業合作化に反対して、その「村治」理論が批判された。のち中国文化書院の主席。

安藤彦太郎

『野村浩一・近藤邦康・村田雄二郎編『新編 原典中国近代思想史 第5巻――国家建設と民族自救』(2010・岩波書店)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「梁漱溟」の解説

梁漱溟(りょうそうめい)
Liang Shuming

1893~1988

中国現代の哲学者,思想家,教育者。北京に生まれる。原籍は広西桂林の人。辛亥(しんがい)革命に参加。革命後は出家して仏典を研究。のち蔡元培(さいげんばい)に認められ北京大学で教鞭をとった。1920年代末から農村社会の救済復興を主張し,郷村(きょうそん)建設運動を実践した。日中戦争中は中国民主同盟の代表として活躍した。中華人民共和国成立後は大陸にとどまったが,53年共産党の農村政策を批判して「反党分子」の烙印を押された。80年代になり再評価の声が高まっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「梁漱溟」の意味・わかりやすい解説

梁漱溟 (りょうそうめい)
Liáng Shù míng
生没年:1893-1988

中国の哲学者,教育者。広西省桂林の出身。北京大学でインド哲学を講じたが,農村復興を志し,河南村治学院の教員兼教育長となり,翌年には山東郷村建設研究院で〈郷村建設運動〉にとりくんだ。共和国成立後,1951年の中国人民政治協商会議に委員の一人として出席したが,55年にかつての〈村治〉理論が批判され,翌年2月の政協全体会議で自己批判を行う。著書に《東西文化及其哲学》その他がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梁漱溟」の意味・わかりやすい解説

梁漱溟
りょうそうめい
Liang Shu-ming

[生]光緒19(1893).9.9. 北京
[没]1988.6.23.
中国の思想家。初め仏教を研究,北京大学でインド哲学を講じたが,1922年『東西文化及びその哲学』を発表,以後実践活動に移り,29年河南村治学院,翌年山東郷村建設研究院を創設,郷村建設活動を指導。その思想は村落の自治を唱え,村長を権力の末端にすえ,反革命の拠点にすることであった。 55年以降,彼の学説が一斉に批判の対象となったが,56年中国人民政治協商会議で率直に自己批判した。主著『郷村建設大意』『漱溟文録』。

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百科事典マイペディア 「梁漱溟」の意味・わかりやすい解説

梁漱溟【りょうそうめい】

中国の哲学者・教育家。広西省桂林の出身。中国同盟会に参加。1917年,北京大学でインド哲学を講義。24年,北京大学を離れ,河南村治学院教務主任に就任。31年,山東郷村建設研究院を創設し院長を務め,農村建設運動を提唱。中国社会を集団生活の視点からとらえ,西欧社会との比較をとおして独自の文化的倫理的伝統と生活様式のありかたを指摘して,中国社会の改造を提唱した。主著に《中国文化要義》など。

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367日誕生日大事典 「梁漱溟」の解説

梁 漱溟 (りょう そうめい)

生年月日:1893年10月18日
中国の社会運動家
1988年没

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世界大百科事典(旧版)内の梁漱溟の言及

【東西文化論争】より

…それに対して,第1次大戦の傷跡の大きさを目撃,ヨーロッパでも〈西洋の没落〉が論じられだしたことをうけて,西洋文化の物質偏重を排し東洋の精神文化を見直そうという声が,胡適らの〈全面的西洋化〉論に反発する伝統主義者のなかからあがった。欧州の旅から帰国し科学の破産を叫んだ梁啓超の《欧遊心影録》(1919)を端緒に,辜鴻銘(ここうめい)は東洋文明こそがよりよき人間をつくると説き,北京大学でインド哲学を講じた梁漱溟は《東西文化及其哲学》(1922)を書いて,中国文化,インド文化によって西洋文化の弊害を救おうと主張し,〈東方に帰れ〉と述べた。23年以降,この論争は,科学万能主義に反対する張君勱(ちようくんばい)と科学を重視する丁文江らによる〈科学と人生観〉の論争にひきつがれた。…

※「梁漱溟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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