日本大百科全書(ニッポニカ) 「芝罘条約」の意味・わかりやすい解説
芝罘条約
ちーふじょうやく
イギリスと中国清(しん)朝との間で、1876年9月、山東省芝罘(現在の煙台(えんだい))で締結された条約。煙台条約、滇(てん)(雲南省の別名)案(あん)条約ともいう。イギリスは、領事館員マーガリが雲南省で殺害された事件を口実に、清朝政府に不平等条約の締結を迫った。こうして清朝は76年9月13日、イギリスとの不平等条約締結を余儀なくされた。条約のおもな骨子は次のとおりである。(1)イギリスは雲南省を調査し、雲南省―ビルマ(現ミャンマー)間の通商規定締結を準備する。(2)イギリス人は甘粛(かんしゅく)、青海、四川(しせん)省を経てチベットに入り、そこからインドに行くことが可能。(3)またインドからチベットに入ることも可能。(4)宜昌(ぎしょう)、蕪湖(ぶこ)、温州、北海を開放し通商港とする。(5)イギリスは中国各地でイギリス人の生命、財産の安全を調査することができる。(6)租界においては洋貨に対し税金上の特権を与え、内陸への輸送でも内地税は免除する。この条約は中国に対するイギリスの侵略的特権をいっそう拡大した。
[山下龍三]