日本歴史地名大系 「花背経塚群」の解説
花背経塚群
はなせきようづかぐん
花背集落南西を中心に散在する経塚群。若狭街道に沿い、街道の南約八キロに鞍馬寺経塚がある。第一―第四経塚が大正一〇年(一九二一)、第五経塚が昭和二年(一九二七)九月、第六―第八経塚が同年一〇月に発見された。組合せ式の小石室をつくり、その上に割石を積み、更に封土で覆うのが本経塚群の一般的な形態である。
第一経塚は経塚群のほぼ中心の、西南西から東北東に、若狭街道へ向かうにしたがって低くなる小支丘の尾根上にある。遺構の大部分は破壊されていたが、小石室を直径約三・五メートル、高さ一・五メートルほどの封土と割石で覆ってあったらしい。石室は長さ五八センチ、幅四六センチの扁平な底石を敷き、この周囲を長さ五五センチ内外の石を立並べて、平面五角形に近い空間をつくる。石室内からは鋳銅製経筒一、その外容器である陶製経筒身二、金銅製毘沙門天立像とそれを納めた鋳銅製筒形厨子一、六器六、火舎香炉二、花瓶二などが発見され、割石積み中からは銅鏡・白磁合子や短刀などがみつかった。鋳銅製経筒は総高三七センチ、直径約一四センチで、「正六位上佐伯正親 女弟子□太子 仁平三年三月□□」とあり、仁平三年(一一五三)の造営が知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報