日本大百科全書(ニッポニカ) 「茂木知世」の意味・わかりやすい解説
茂木知世
もてぎともよ
生没年未詳。南北朝時代の武将。下野(しもつけ)国茂木郡茂木郷(栃木県芳賀(はが)郡茂木町)を名字(みょうじ)の地とする在地領主。初名知政(ともまさ)、通称弥三郎(やさぶろう)、沙弥賢安(しゃみけんあん)。知貞(ともさだ)の嫡男で一族とともに足利(あしかが)方として闘い、新田(にった)党の拠(よ)る金ヶ崎(かながさき)城(福井県敦賀(つるが)市金ヶ崎町)攻めなどに参加。1353年(正平8・文和2)に惣領(そうりょう)として茂木東西九郷以下の所領を伝領した。59年(正平14・延文4)畠山国清(はたけやまくにきよ)の南朝討伐軍上洛(じょうらく)に際してこれに従い、畿内(きない)各地を転戦。これが長期にわたったために、東国本領(ほんりょう)が侵略を受けるところとなり、その対応に苦慮した。茂木系図によると没年は61年(正平16・康安1)2月29日であるが疑わしい。
[海津一朗]
『栃木県史編さん委員会編『栃木県史 史料編 中世二』(1975・栃木県)』