茶税法(読み)ちゃぜいほう(その他表記)Tea Act

改訂新版 世界大百科事典 「茶税法」の意味・わかりやすい解説

茶税法 (ちゃぜいほう)
Tea Act

1700万ポンド(重量)の茶の滞貨で経済的に困窮する東インド会社の救済のため,イギリス議会が1773年5月10日に制定した法律。同法は,北アメリカ植民地向けの茶には本国輸入時の関税を全額東インド会社に払い戻し,かつ,アメリカでは競売ではなく,同社の代理人を通じて直接販売する独占権を与え,オランダの密貿易茶の輸入阻止をも目的とした。この法律は課税法ではないが,タウンゼンド諸法(1767)以来,茶に対する課税にいらだっていた植民地人は,課税徴収のために一会社に独占権を与えるものだとして茶税法と呼んだ。また,本国議会による一会社に対するこのような独占権付与が,次々に他の植民地産業を脅かす先例となることを恐れた植民地人は,急進的愛国派と提携して強力な反対運動を展開し,これがボストン茶会事件となり,独立へとつながった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「茶税法」の意味・わかりやすい解説

茶税法
ちゃぜいほう
Tea Act

1773年4月 27日イギリス下院 (庶民院) を通過した法律。 1700万ポンドに上る茶の滞貨に苦しみ,破産寸前の状態にあったイギリス東インド会社を救うため,北アメリカ植民地に輸出される茶への税を免除し,植民地における同社の代理店に茶の独占販売権を認めたもの。この茶税法は,本国議会の一存で独占販売権を一会社に与えて植民地の茶商人を脅かした点で強い反感を植民地人の間に広げ,同年 12月 16日ボストン茶会事件を引起し,アメリカ独立への契機となった。

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世界大百科事典(旧版)内の茶税法の言及

【アメリカ独立革命】より

…再びロンドン商人の要請により,タウンゼンド諸法も70年4月,茶を残して廃止されることになった。ここに,本国と植民地の関係は小康を得たが,破産にした東インド会社の財政を救うために,その茶を本国を通さずに直接,したがって廉価にアメリカ市場で売り払うことを許した73年の本国の政策(茶税法)は,オランダ茶の密貿易で利益を得ていたアメリカ商人に打撃を与えるのみならず,同様の政策を本国政府が恣意的に行うのではないかとの危惧を植民地人にもたせることになる。その結果各地で茶の陸上げが阻止されたが,73年12月ボストンにおいてサミュエル・アダムズを指導者とする植民地人の一群が,インディアンに扮して船上の茶箱をボストン港湾に投げすてるという事件が起こった。…

【紅茶】より

…まず18世紀後半の画期的事件はアメリカの独立(1776)である。イギリス政府はイギリス東インド会社がアメリカ植民地に茶を強制的に押しつける茶税法(1773)を発布,これがアメリカ市民をひどく刺激し,同年12月ボストン茶会事件が勃発,それが導火線となってアメリカ独立戦争へと発展した。アメリカ人が紅茶ではなくコーヒーを愛好するようになるのも独立以後のことで,イギリスの紅茶に対する抵抗の表現である。…

※「茶税法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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