草島村(読み)くさじまむら

日本歴史地名大系 「草島村」の解説

草島村
くさじまむら

[現在地名]富山市草島

神通川河口左岸に位置し、南は金山新かなやましん村、西は婦負郡西岩瀬にしいわせ町、東対岸は東岩瀬宿。集落南側を東西に加賀藩主往還路(北陸街道)が走り、千原崎ちわらざき渡に至る。新川にいかわ郡に属するが、婦負郡草島村と集落・耕地は錯綜していた。近世初期、神通川は集落西側を流れ、対岸に婦負郡今市いまいち荒屋あらやくぼ・西岩瀬各村があり、同川が加賀・富山両藩境をなし、川西富山藩領であった。草島渡とよばれる加賀藩営の渡場があった。同渡場は、慶長一四年(一六〇九)岩瀬渡が退転したのに代わって新設されたもので、同時に草島村周辺の町立ても計画された(「前田利長書状」高岡市立博物館蔵)。元和二年(一六一六)当村に千原崎村・東岩瀬村とともに五軒に一軒の割の伝馬役が課され、宿機能をもった(「三ヶ国宿伝馬役定書」加賀藩史料)。翌三年には加賀三代藩主前田利常が千原崎村とともに領内の頭振を移住させて村領の野地を徹底的に新田開発するよう命じている(川合家文書・三辺家文書)。当時利常家臣の浅井左馬・稲垣与右衛門の給地であったが、各地から開拓百姓として入村した者は浅井氏領の者は新川郡百姓、稲垣氏領の者は婦負郡百姓としたために二郡混交の集落となったと伝える(井城家文書)


草島村
くさじまむら

[現在地名]富山市草島

神通川河口左岸に位置。婦負郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。加賀藩領新川にいかわ郡草島村と一体の集落をなし、西は旧神通川跡の神通古じんづうふる川を挟み婦負郡今市いまいち村・荒屋あらや村・西岩瀬にしいわせ町。文政八年(一八二五)には奥田組、文久元年(一八六一)以降宮川組に属する。正保郷帳では高一六四石余、田方二町・畑方八町九反余。承応四年(一六五五)の村御印(井城家文書)では草高一六四石余・免三ツ五歩二厘、給人は富田監物二四石余・多羅尾勘兵衛二八石余・橋本主殿三一石余・大島市郎二五石・細野九郎右衛門二六石余・窪田藤右衛門一四石余・桜井甚助一三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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