群馬県吾妻(あがつま)郡草津温泉にちなんで歌われた民謡。草津の湯は高温なので,熱湯をさますために1日4回の時間湯が決められ,厚板で熱湯をかきまぜて湯をやわらげる〈湯もみ〉に合わせて浴客がいっせいにうたった〈湯もみ歌〉の一つ。草津には〈ドッコイショ〉とはやす《草津節》と,〈ヨーホホイ〉とはやす《草津湯もみ唄》(《草津ヨホホイ節》とも)といわれている2種類の〈湯もみ歌〉があり,地元では後者を《草津節》と呼ぶ。歌詞はおおむね同じだが旋律は後者の方が一段と味わいが深い。いずれも草津温泉で歌われだしたのは1918年のころからで,関東大震災(1923)ころから昭和初年にかけて全国的に大流行した。草津節の原調については鹿島灘沿岸の舟歌《玄高(げんたか)節》説,東京多摩地方の《機織歌》説,飴売行商が伝えたという秋田地方の〈飴売節〉説などがあるが,未詳。はじめの2説は湯治客が持ちこんだという点で共通している。
執筆者:須藤 豊彦
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群馬県草津町の草津温泉で歌われ出した民謡。鎌倉時代に発見されたといわれる草津温泉は、その湯質が酸味硫化水素臭の濃い硫黄(いおう)泉で、温度も高く長時間入っていることはできなかった。そこで江戸時代末期から、時間を限って入る「時間湯」という制度が決められた。一方、高温の湯に水を入れてうめると薬効が落ちるので、湯を板でかき回す方法も用いられた。これが「湯もみ」である。「時間湯」にも「湯もみ」にも入湯客に指示する人が必要である。そこで湯に詳しい人を選んで「湯長」とした。湯長の拍子木を合図に入湯客が板で一斉に湯をかき回し、唄(うた)を歌った。唄は各地さまざまだったが、埼玉方面からきた客が歌った「二上り甚句(じんく)」の変化した「機織(はたおり)唄」がいちばん親しみやすく、この唄がやがて「チョイナチョイナ」の囃子詞(はやしことば)の入る『草津節』となった。草津温泉にはほかに「ヨホホホーイ」が入る『草津湯もみ唄』もある。
[斎藤 明]
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