日本歴史地名大系 「荒山砦跡」の解説 荒山砦跡あらやまとりであと 富山県:氷見市小滝村荒山砦跡[現在地名]氷見市小滝越中と能登との国境線上にそびえる升形(ますがた)山(四八六メートル)の山上に築かれた城。山名の由来は山の形が四角で、枡を伏せたようにみえることによる。城郭を築いた際山上を削平したため、山容がそのような形を呈することによる。砦の西側に越中と能登を結ぶ荒山峠があり、この砦がその街道を押える位置に築かれている。尾根伝いの東方は天平(てんぴよう)寺(現石川県鹿島町)のあった石動(せきどう)山に至る。山上からは氷見と富山湾、また能登国鹿島(かしま)郡の平野部などを見渡せる。越中古城記(加越能文庫)などは城主を阿尾(あお)城の菊池氏と伝える。 荒山砦跡あらやまとりであと 石川県:鹿島郡鹿島町芹川原山分荒山砦跡[現在地名]鹿島町原山石動(せきどう)山の南西方約二・五キロ、荒山峠の北約〇・八キロの尾根上標高四八六メートルに位置し、「桝形山」の城跡とも称する(能登志徴)。邑知(おうち)地溝帯などへの眺望はきわめてよい。詳細な分布調査は行われていないが、丘頂部に一辺約二五〇メートルの広大な平坦面をもつ単郭式とみられ、中腹部にかけても小規模な郭群が認められる。天正一〇年(一五八二)八月一六日の佐久間盛政書状(温故足徴)に「新山与申古城」とみえ、石動山合戦で金沢から前田方の救援に赴いた盛政によって当砦に追込められた温井氏・三宅氏らは、一人残らず討取られた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報