荒川秀俊(読み)アラカワ ヒデトシ

20世紀日本人名事典 「荒川秀俊」の解説

荒川 秀俊
アラカワ ヒデトシ

昭和期の気象学者 東海大学教授;元・気象研究所所長。



生年
明治40(1907)年8月4日

没年
昭和59(1984)年12月23日

出生地
福島県白河市

学歴〔年〕
東京帝大理学部物理学科〔昭和6年〕卒

学位〔年〕
理学博士

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和52年〕,福島県知事賞〔昭和56年〕

経歴
昭和6年中央気象台に入り、39年福岡管区気象台長、41〜43年気象研究所長などを歴任。この間、16年東京帝大工学部講師兼任。43年退官し、東海大学理学部教授を務めた。天気予報の近代化に尽力する一方、難しい気象理論をお茶の間天気予報に取り入れた“お天気博士”。戦時中の“風船爆弾”の考案者の一人として知られるほか、歴史上の事件と気象との関係を研究して「お天気日本史」(45年)にまとめた。他に「日本気象学史」「気象学発達史」「日本と世界の気象」「近世気象災害志」「災害の歴史」「異国漂流物語」「江戸幕府代官史料」(共編)などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒川秀俊」の意味・わかりやすい解説

荒川秀俊
あらかわひでとし
(1907―1984)

気象学者。福島県に生まれる。1931年(昭和6)東京帝国大学物理学科を卒業、ただちに中央気象台に入り、以後各種気象調査に従事。1941年東大工学部講師。1943年には偏西風を利用した風船爆弾に関する気象調査を行った。第二次世界大戦後は中央気象台、気象研究所で研究のかたわら東大講師を兼ねた。1964年福岡管区気象台長、1966年気象研究所長、1968年退職以後は東海大学教授。業績は、理論気象学とその天気予報への応用、日本付近の気団論、気候変化、水文気象、気象学史、日本の気象災害史など多岐にわたる。著書に『日本気候学史』(1941)、『日本と世界の気象』(1959)ほか多数がある。

根本順吉

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒川秀俊」の解説

荒川秀俊 あらかわ-ひでとし

1907-1984 昭和時代の気象学者。
明治40年8月4日生まれ。中央気象台にはいり,昭和16年より東京帝大講師を兼任。陸軍依頼で風船爆弾の研究をおこなう。39年福岡管区気象台長,41年気象研究所長。シベリア気団,小笠原(おがさわら)気団などの命名者でもある。昭和59年12月23日死去。77歳。福島県出身。東京帝大卒。著作に「気象学発達史」「お天気日本史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「荒川秀俊」の解説

荒川 秀俊 (あらかわ ひでとし)

生年月日:1907年8月4日
昭和時代の気象学者。東海大学教授;気象研究所所長
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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