菅生神社(読み)すごうじんじや

日本歴史地名大系 「菅生神社」の解説

菅生神社
すごうじんじや

[現在地名]美原町菅生

「延喜式」神名帳に載る丹比たじひ郡「菅生スカフノ神社」に比定される。現祭神は主神が天児屋根命・菅原道真で、配神は天照皇大神・素盞嗚尊・誉田別命・広国押武金日命。素盞嗚尊は八阪やさか神社(野田村、現堺市)、天照皇大神は天照大神宮(現堺市)を明治四〇年(一九〇七)に合祀した際の祭神。旧郷社。当地一帯は古代丹比郡菅生郷(和名抄)の中心地で、「新撰姓氏録」(河内国神別)には「菅生朝臣 大中臣朝臣同祖、津速魂命二世孫天児屋根命之後也」とある。当社は当地にいた菅生氏が奉斎した神社で、もとの祭神は天児屋根命であったと思われる。「新抄格勅符抄」に引く大同元年(八〇六)の牒によると天平宝字八年(七六四)菅生神に河内国で神封一戸が与えられており、貞観元年(八五九)正月二七日菅生神は従五位下から従五位上に進階した(三代実録)


菅生神社
すがうじんじや

[現在地名]山本町辻

菅生八幡宮福生ふくう八幡宮からなるため両社八幡ともいう。祭神は菅生神社は邇邇杵命・天種子命・天押雲命、福生神社は品陀和気命・息長帯媛命・玉依姫命。旧郷社。社伝によれば、嘉禄二年(一二二六)香西左近将監資村が河内国菅生すごう神社(現大阪府南河内郡美原町)の霊夢をみ、命じられた大野おおの村相模重政が神霊を奉じて室本むろもと(現観音寺市)に着き、仮殿を古川ふるかわ(現同上)に造りさらに当地へ勧請した。天福元年(一二三三)には豊前国宇佐うさ(現大分県宇佐市)より八幡大神を迎えて福生八幡宮とし、苅田かりた郡で高六石を神領とした。


菅生神社
すごうじんじや

[現在地名]岡崎市康生町

康生こうせい町の東南、おと川に面した旧菅生曲輪内にあり、祭神は須佐之男命・天照皇大神・豊受姫命。岡崎十二社の一。元来は祭神を異にする別々の神社で、社地も別々であったが慶長一五年(一六一〇)に一社に合わせて菅生天王てんのうと称した。

当社の神主である松平(加茂とも称した)久算が記した「三河聡視録」によれば「高宮山宮崎神社菅生天王宮」は素盞嗚命・三大神・八王子を社神としていた。天平宝字元年(七五七)に牛頭天王を播磨国飾磨郡広峰山から、乙川上流の額田郡広崎に勧請して宮崎みやざき(現額田郡額田町)と称した。永正一四年(一五一七)七月の大洪水で流失して岡崎の高石たかいわに漂着したので、翌年中山なかやま村の天野掃部介正家、麻生あそうの同弥九郎隆正の二人が社殿を造り菅生天王宮と号した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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