朝日日本歴史人物事典 「菊川英山」の解説
菊川英山
生年:天明7(1787)
江戸後期の浮世絵師。名は俊信,通称を万五郎(万吉とも)と伝える。画号は他に重九斎,児玉屋。住居は江戸の市ケ谷,四ツ谷箪笥町など(ただし晩年は上州藤岡町など)。絵は狩野派絵師の門人であった父英二や鈴木南嶺に師事したが,魚屋北渓との親交を通じて葛飾北斎の画風も学ぶ。文化(1804~18)初頭から錦絵を発表し始め,当初は喜多川歌麿の晩年の美人画風に追随した作例などを手懸けた。その後文化中期から文政期(1818~30)にかけては,揃物や掛物絵の美人画に名を成したが,以降晩年までは錦絵を描かず,これに代わっておもちゃ絵や狂歌本挿絵,肉筆画などをもっぱら描いた。
(内藤正人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報