萩城(読み)はぎじょう

日本の城がわかる事典 「萩城」の解説

はぎじょう【萩城】

山口県萩市にあった平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。日本海をのぞむ指月山(しづきやま)は標高143m。その山頂に詰(つめ)の丸、麓の本丸に5層5階の天守藩主の居館があった。1604年(慶長9)から1608年(慶長13)にかけて毛利輝元(てるもと)が築城した。もともと津和野城主の吉見(よしみ)氏が出城を構え、その後吉見正頼(まさより)が隠棲所にしたところだった。萩城は全体で20基の櫓(やぐら)を配し、山頂の詰の丸にも櫓7基を設置するなど防御に優れた城郭だった。幕末にいたって、萩城は日本海にのぞんでいるため海防上不利と考え、1863年(文久3)に政庁を萩から山口に移した。このため毛利氏14代の居城であった萩城はその役割を終え、1874年(明治7)に解体された。現在、城跡は指月公園として整備されているほか、旧城の入口には家臣詰め所などに使われていた厚狭毛利家(あさもうりけ)の萩屋敷長屋が現存する。JR山陰本線萩駅からバス30分、またはJR山陰本線玉江駅から徒歩20分。◇指月城(しづきじょう)ともいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「萩城」の意味・わかりやすい解説

萩城
はぎじょう

江戸期の城。山口県萩市堀内にある。城は日本海に面し、阿武(あぶ)川デルタの北西端に延びる地の指月山(しづきやま)とその山麓(さんろく)に位置している。指月城ともいう。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにおいて西軍の総帥であった毛利輝元(もうりてるもと)が、旧領中国8か国120万石から周防(すおう)、長門(ながと)2か国36万石に削封され、新しく居城としたものである。1604年に着工し、08年に完成、以来毛利氏が13代世襲して幕末に至った。1863年(文久3)に政治機関を山口に移したため、事実上廃城となっていた。城は指月山の山頂を詰(つめ)の丸とし、山麓に本丸、二の丸、三の丸を設け、本丸には五重の天守閣と藩主の殿舎、諸役所があった。城下には武家屋敷がよく残っている。

[小和田哲男]


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防府市歴史用語集 「萩城」の解説

萩城

 萩の指月山[しづきやま]に建てられた毛利[もうり]氏の城です。毛利氏が周防[すおう]・長門[ながと]の2国にうつされてからしばらくは本拠地となる城がなく、1604年になってから、つくられはじめました。完成したのは1608年ですが、明治時代になって、取りこわされました。

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事典・日本の観光資源 「萩城」の解説

萩城

(山口県萩市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の萩城の言及

【萩[市]】より

…古く萩浦,萩津とよばれた地は,近世,毛利氏の城下町が開かれたことによって発展,周防・長門両国の政治の中心であった。現在も旧城下の景観をよくとどめ,萩城下町とその東にあたる椿東(ちんとう)にある松下村塾(史),伊藤博文旧宅(史)などの維新史跡に多くの観光客が訪れる。伝統の萩焼や士族授産に始まったナツミカンが特産。…

※「萩城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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