萱野長知(読み)カヤノ ナガトモ

20世紀日本人名事典 「萱野長知」の解説

萱野 長知
カヤノ ナガトモ

明治〜昭和期の大陸浪人 貴院議員。 孫文中国革命を支援。



生年
明治6年(1873年)

没年
昭和22(1947)年4月14日

出生地
高知県高知市

学歴〔年〕
高知共立学校中退

経歴
明治23年上京。24年上海に渡り、東京日日新聞通信員となる。のち、香港で孫文と交流し、38年東京での孫文らの中国革命同盟会結成を助け、また宮崎滔天らと「革命評論」を創刊した。孫文と終始行動をともにし、日中各地で活動。昭和12年国民政府高官に接触し、日中和平工作をはかるが失敗した。21年貴院議員。著書に「中華民国革命秘笈」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「萱野長知」の意味・わかりやすい解説

萱野長知 (かやのながとも)
生没年:1873-1947(明治6-昭和22)

高知市の人。号は鳳梨。少年時代に上海に渡って中国語を習い,やがて宮崎寅蔵(滔天)とならぶ中国革命の支持者となった。その活動は多彩だが,中華革命党の組織には深く関与し,顧問となった。孫文の臨終に呼ばれた唯一の日本人である。満州事変後,犬養毅首相の密使となって和平交渉に赴いたが,成功せず,戦後貴族院議員勅選された。養女の華恵は国民党元老居正の娘である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萱野長知」の解説

萱野長知 かやの-ながとも

1873-1947 明治-昭和時代前期の大陸浪人。
明治6年10月12日生まれ。上海にわたり「東京日日新聞」通信員となる。のち香港で孫文を知り,明治38年東京で孫文らの中国革命同盟会結成を支援。昭和12年国民政府に接触し,日中和平工作をすすめたが失敗した。貴族院議員。昭和22年4月14日死去。75歳。高知県出身。海南学校卒。著作に「中華民国革命秘笈(ひきゅう)」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「萱野長知」の解説

萱野 長知 (かやの ながとも)

生年月日:1873年10月12日
明治時代-昭和時代の大陸浪人
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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