日本歴史地名大系 「蒜袋村」の解説 蒜袋村ひるぶくろむら 宮城県:志田郡三本木町蒜袋村[現在地名]三本木町蒜袋鳴瀬(なるせ)川と多田(ただ)川とが合流する袋状の地域で、出水ごとに洪水に見舞われ、河水が停滞する所であった。北は多田川を隔てて師山(もろやま)村(現古川市)、東は上伊場野(かみいばの)村、南は桑折(こおり)村、西は高柳(たかやなぎ)村と接する。「安永風土記」に「往古当村ニ而蒜ヲ作方仕商買仕候故ヲ以蒜袋村と申」とある。今でもこの近辺には野蒜がみられる。蒜袋の東部の城野(じようの)はかつては桑折村に属し、鳴瀬川と多田川とが合流する三角地帯で、鳴瀬川が逆川となって多田川に流れ込んでいた。 蒜袋村ひるぶくろむら 宮城県:黒川郡大和町蒜袋村[現在地名]大和町落合(おちあい) 蒜袋大松沢(おおまつざわ)丘陵の南縁、西南は善(ぜん)川・奥田(おくだ)川の氾濫原が南の吉田川氾濫原・黒川耕土に連なる。東と北の段丘が急傾斜で鉤形に水田に落込む。道は南東の相川(あいかわ)村から段丘裾部を西北の奥田村(現大衡村)に通じる。集落の南方御所(ごしよ)館に拠った黒川氏による支配が、天正一八年(一五九〇)まで続いた。慶長九年(一六〇四)から寛永一一年(一六三四)まで伊達宗清の知行地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by