日本歴史地名大系 「蓑輪村」の解説 蓑輪村みのわむら 栃木県:下都賀郡国分寺町蓑輪村[現在地名]国分寺町箕輪(みのわ)南流する姿(すがた)川の西岸台地上にあり、東は小金井(こがねい)村、西は藤井(ふじい)村(現壬生町)、南は川中子(かわなご)村、北は橋本(はしもと)村(現石橋町)。箕輪村とも書いた。中央に中世城館箕輪城跡がある。延元四年(一三三九)三月二〇日の北畠親房御教書写(結城文書)によれば、二月南朝方は矢木岡(やぎおか)城(現真岡市)・益子(ましこ)城を攻略し、次いで足利方の桃井舎弟の拠る上三川(かみのかわ)城と箕輪城を攻め落した。城は複郭で本丸の四囲は土塁で囲まれており、東側は姿川に面し急崖となっている。 蓑輪村みのわむら 富山県:滑川市蓑輪村[現在地名]滑川市蓑輪早月(はやつき)川が形成した新扇状地の扇頂部に位置し、北は大日(だいにち)村、東は早月川を境に鉢(はち)村(現魚津市)。南は城(しろ)山の稜線を境として護摩堂(ごまどう)村(現上市町)。新扇状地と隆起扇状地(室山野台地)の出会う所で、人家は標高二〇〇メートルから三五〇メートル付近に点在している。村名の由来は早月川と支流の小早月(こはやつき)川の合流点に音五郎とよばれる大岩が突き出しており、その地形が蓑の襟に以ていることによるという(東加積村誌)。 蓑輪村みのわむら 岐阜県:吉城郡国府町蓑輪村[現在地名]国府町蓑輪荒城(あらき)川下流左岸平坦地にあり、北東は八日町(ようかまち)村・漆垣内(うるしがいと)村、西は三日町(みつかまち)村。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳によれば荒木(あらき)郷に属し、三日町・漆垣内・木曾垣内(きそがいと)・半田(はんだ)・鶴巣(つるす)・大坪(おおつぼ)の六ヵ村がまとめて記され、このうち大坪村が当村の古称であるという(国府村史)。同一八年の郷帳ではみのわ村とあり、高二九三石余。元禄検地反歩帳では吉城郷に属し、高二三三石余、田一七町一反余・畑四町七反余。「飛騨国中案内」では免五割七分五毛余、家数二七(うち百姓二六・山伏一)。 蓑輪村みのわむら 富山県:小矢部市蓑輪村[現在地名]小矢部市蓑輪清水(しみず)村の西、小矢部川左岸から蟹谷(かんだ)丘陵にかけて位置し、小原(おはら)道が通る。元和五年(一六一九)の家高新帳に「蓑わ村」とみえ、役家数一八、高木組に属する。正保郷帳では高一千三四一石余、田方七六町七反余・畑方一二町七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一千二九五石・免五ツ、小物成は山役二五六匁・鮭役八三匁・鮎川役六匁・猟船櫂役二〇目、鱒役四匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。天保一〇年(一八三九)の高物成帳(菊池家文書)では高一千二三一石余・免五ツ一歩。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by