蔵知矩(読み)クラチ タダシ

20世紀日本人名事典 「蔵知矩」の解説

蔵知 矩
クラチ タダシ

明治〜昭和期の教育者,郷土史家 久世高等女学校長。



生年
明治2年12月2日(1870年)

没年
昭和19(1944)年7月22日

出生地
備前岡山(岡山県岡山市)

学歴〔年〕
岡山県師範学校〔明治24年〕卒

主な受賞名〔年〕
岡山県教育会教育功労者表彰〔昭和11年〕,岡山市教育功労者表彰〔昭和11年〕,合同新聞社文化賞〔昭和18年〕

経歴
岡山藩士の子として生まれる。岡山中学校を中退し、一時小学校教員養成所で教鞭を執った。明治24年に岡山県師範学校を卒業後に教員となり、岡山市立尋常岡山小学校や私立金川小学校で教える。その間、第六高等学校教授大渡忠太郎に師事して植物学を学び、40年には師範学校・中学校博物科及び高等女学校理科植物科の教員検定に合格。42年山陽高等女学校に赴任、43年からは同校教頭を務め、上代淑校長の下で女子教育に心血を注いだ。のち久世実科高等女学校長・久世高等女学校長・関西中学校講師などを経て昭和5年に教職を引退。以後、旧岡山藩主池田家の嘱託として岡山藩政史研究と資料整理に没頭し、「岡山県史」編纂事業でも活躍した。教育功労者として多く叙勲・表彰を受けたほか、18年に合同新聞文化賞を受賞著書に「神戸事変と滝善三郎」「岡山の回顧」「牧野権六郎先生伝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蔵知矩」の解説

蔵知矩 くらち-ただし

1870*-1944 明治-昭和時代前期の教育者。
明治2年12月2日生まれ。岡山県の金川中学,山陽高女の教諭をへて,久世高女校長となる。昭和5年池田家古文書整理掛となり,郷土史を研究。岡山市史編纂(へんさん)委員もつとめた。昭和19年7月22日死去。76歳。備前(岡山県)出身。岡山師範卒。著作に「神戸事変と滝善三郎」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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