薗部村(読み)そのべむら

日本歴史地名大系 「薗部村」の解説

薗部村
そのべむら

[現在地名]栃木市薗部町一―四丁目・入舟町いりふねちよう錦町にしきちよう柳橋町やなぎばしちよう祝町いわいちよう

箱之森はこのもり村の南方一帯に広がり、東は巴波うずま川を隔てて栃木町。中央を永野ながの川が南流し、西は太平おおひら山の北東麓などをもって岩出いわで村などと接する。北東部は鶉島うずらじまを中心に低湿地帯。縄文時代の土器などを出土する永野川右岸の鹿苑ろくおんや、源義家が奥州遠征の途次に当地で食事をとったことにちなむという御前木ごぜのきなどの地名が残る。また巴波川右岸地帯のうち南の片柳かたやなぎ村にかけてを西原にしはらとよぶのは栃木町からの呼称。史料上は園部・薗辺とも記される。応保二年(一一六二)三月、奈良東大寺の封戸に代えて薗部郷を便補保とし、薗部保が成立するが(同月七日「下野国司庁宣」東南院文書)、これは当地付近に比定される。

慶長一四年(一六〇九)までは皆川広照領(延享元年「皆川歴代記」皆川又太郎文書)


薗部村
そのべむら

[現在地名]和歌山市園部そのべ

名草なくさ郡に属し、善明寺ぜんみようじ村の東に位置する。村域は淡島街道(旧南海道)沿いにあり、東は六十谷むそた村、南は紀ノ川に至る。村の西を鳴滝なるたき川が南流し、下流には役行者が定めたと伝える葛城二十八宿のうちの経塚があった。古代のそのべ(和名抄)の中心地で、一帯は平安時代以後戦国時代までは薗部庄といった。荘内には貴志きし村・山路やまじ村があり、戦国時代末期には当地は善明寺以西の貴志地区と分離していったが、当地の薗部神社(現伊達神社)は当村および大谷おおたに平井ひらい・善明寺四ヵ村の産土神とされており、住民の意識としては、この四ヵ村は地域的共同体をなしていたようである。


薗部村
そのべむら

[現在地名]高浜町薗部

高浜村の東に位置し、北は高浜湾に臨む。村内を丹後街道が通る。建久七年(一一九六)六月日付の若狭国御家人注進案(東寺百合文書)に薗部次郎久綱の名がみえ、地名を負うた人物と推測される。「若狭郡県志」に「園部村属木津庄、去小浜五里許也」とある。正保郷帳によれば田方六三三石余・畠方八九石余。文化四年(一八〇七)の戸数一〇一、人口四八四(雲浜鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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