朝日日本歴史人物事典 「薬師寺元一」の解説
薬師寺元一
生年:生年不詳
室町後期の武将。細川政元の被官。通称与一。長盛の長子。伯父元長の養子となり,文亀1(1501)年その死後摂津守護代を継ぐ。3年政元の命で阿波に下向し,細川成之の孫六郎(澄元)を政元の養子に迎えることをとり決めた。永正1(1504)年9月4日,成之や畠山尚順(尚慶),足利義尹(義稙)と結び,政元を廃して澄元を擁立せんとして淀城に反乱を起こす。しかし,実弟長忠が政元側に属し,成之の援軍も遅れたため19日には落城した。同日捕縛されて京都に送られ,翌日切腹。辞世に「地獄にはよき我主のあるやとて今日おもひたつ旅衣かな」。我主は若衆との掛詞で,政元の男色趣味を揶揄している。
(末柄豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報