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議奏 ぎそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

議奏
ぎそう

鎌倉,江戸時代の朝廷における官職。両時代を通じていずれも鎌倉,江戸幕府が,それぞれ朝廷の意向を間接に統御するため設置したもので,常に天皇に近侍して勅宣を公卿に伝達し,または上奏を天皇に取次ぎ,また重要政務を合議した。幕府の奏請によって設置され,親幕的な公卿が任じられている。鎌倉時代には右大臣藤原兼実など,江戸時代には大納言転法輪実通などがある。

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デジタル大辞泉の解説

ぎ‐そう【議奏】

太政官(だいじょうかん)からの建議を天皇に奏上すること。
鎌倉時代、朝廷に置かれた職。源頼朝公卿10人を推薦し、重要政務の合議に当たらせた。
江戸時代、朝廷に置かれた職。天皇の側近として口勅を伝え、上奏を取り次いだ。清華(せいが)羽林の両家から四、五人が選ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

議奏【ぎそう】

鎌倉・江戸時代,朝廷に置かれた職名。源頼朝は1185年後白河院の専断を抑制するため10人の公卿(くぎょう)を議奏に任命し,政務を集議させたが実効はなかった。江戸幕府は1686年に年寄衆・御側(おそば)衆を改め,公卿を議奏とし,天皇の側近として朝幕間の事務連絡に当たらせた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎそう【議奏】

鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。鎌倉幕府草創時の1185年(文治1)12月,源頼朝は後白河院に対して,右大臣九条兼実,権中納言源通親,権中納言吉田経房ら10人の公卿を議奏公卿となすよう要求して認めさせた。これは10人の集議奏上によって政務を行わせて,後白河院の専断を抑制しようとしたものであったが,必ずしも頼朝の期待どおりには機能せず,やがて消滅した。 次に江戸時代の前期,1686年(貞享3)年寄衆,御側衆の名称が議奏と改められた。

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大辞林 第三版の解説

ぎそう【議奏】

政事を議定し、天皇に奏上すること。
1185年、後白河院に対して、源頼朝が親幕派の公卿一〇名を推挙して、朝廷に置いた職名。政務を合議させ、朝政にあたらせた。
江戸時代、朝廷に置かれた職。天皇に近侍し、口勅を公卿以下に伝え、上奏を取り次いだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

議奏
ぎそう

鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。1185年(文治1)、源頼朝(よりとも)が九条兼実(くじょうかねざね)ら10人の公卿(くぎょう)を議奏公卿となすよう後白河(ごしらかわ)院に要求して、設置させたことに始まる。議奏は政務を合議し、院の専断を牽制(けんせい)することを期待されたが、かならずしもその機能を果たさず、やがて消滅した。江戸時代の議奏は、1686年(貞享3)に年寄(としより)衆、御側(おそば)衆の名称が改められたもの。つねに天皇に近侍し、奏上(そうじょう)、宣下(せんげ)の事にあたった。天皇の権威がにわかに復活した維新前夜には、政局の推移に重要な役割を果たした。[山本博也]

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