鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。鎌倉幕府草創時の1185年(文治1)12月,源頼朝は後白河院に対して,右大臣九条兼実,権中納言源通親,権中納言吉田経房ら10人の公卿を議奏公卿となすよう要求して認めさせた。これは10人の集議奏上によって政務を行わせて,後白河院の専断を抑制しようとしたものであったが,必ずしも頼朝の期待どおりには機能せず,やがて消滅した。
次に江戸時代の前期,1686年(貞享3)年寄衆,御側衆の名称が議奏と改められた。このときの議奏はつねに天皇に近侍して上奏を取り次ぎ,また勅宣を受けてこれを伝える役職で,しかるべき家柄の公卿の中から4~5人が任じられた。幕末に江戸幕府の威信が衰え,開国か攘夷かをめぐる国論の決定に天皇の意向が重要なポイントとなるという状況が生じた際には,天皇に近侍する議奏の地位がにわかにクローズアップされた。
執筆者:山本 博也
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鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。1185年(文治1)、源頼朝(よりとも)が九条兼実(くじょうかねざね)ら10人の公卿(くぎょう)を議奏公卿となすよう後白河(ごしらかわ)院に要求して、設置させたことに始まる。議奏は政務を合議し、院の専断を牽制(けんせい)することを期待されたが、かならずしもその機能を果たさず、やがて消滅した。江戸時代の議奏は、1686年(貞享3)に年寄(としより)衆、御側(おそば)衆の名称が改められたもの。つねに天皇に近侍し、奏上(そうじょう)、宣下(せんげ)の事にあたった。天皇の権威がにわかに復活した維新前夜には、政局の推移に重要な役割を果たした。
[山本博也]
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議奏公卿のこと。1185年(文治元)12月6日の源頼朝の後白河上皇への要請によって29日に設置され,10人が任命された。朝廷で神祇・仏道ほか重要政務を合議し,天皇に具申することを職務とする。1288年(正応元)にも存在が確認されるが詳細不明。室町時代には設置されなかったらしい。
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