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藤堂高潔 とうどう たかきよ

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美術人名辞典の解説

藤堂高潔

伯爵・伊勢津藩主。号は二洲・対緑。高猷の子。古今の史籍に精通し、詩・書画・和歌を能くした。従四位下侍従・大学頭・津藩知事を経て歌御会始の奉行を務める。その詠歌は『草陰和歌集』『大八洲歌集』等に収録されている。明治2年(1889)歿、53才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤堂高潔 とうどう-たかきよ

1837-1889 幕末-明治時代の武士,華族。
天保(てんぽう)8年9月20日生まれ。天誅組の変,禁門の変の際,父の伊勢(いせ)津藩主藤堂高猷(たかゆき)の代理として京都御所の警護などにあたり,戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍にしたがう。明治4年津藩知事。伯爵。書画をよくし,和歌にもすぐれた。明治22年11月18日死去。53歳。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤堂高潔

没年:明治22.11.19(1889)
生年:天保8.9.20(1837.10.19)
明治初期の津藩知事。11代津藩主高猷の子。伊勢国(三重県)津生まれ。文久3(1863)年上京して朝廷の守衛を命ぜられ,翌元治1(1864)年には父高猷の名代で上京,慶応2(1866)年にも朝廷の要請で上京,翌3年にも父に代わって上京するなど,京都守衛に努めた。明治1(1868)年にも率兵上京,次いで明治天皇の大阪行幸に従い,さらに父に代わって東征軍に加わった。同4年6月家督を相続して津藩知事となったが,半月で廃藩となって知事を解任された。その後宮中祗候などを命ぜられ,17年の華族令制定の際伯爵を授けられた。

(上野秀治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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