蛤城跡(読み)はまぐりじようあと

日本歴史地名大系 「蛤城跡」の解説

蛤城跡
はまぐりじようあと

[現在地名]古川町高野

東はみや川を隔てて古川盆地に臨み、北に高野たかの集落、西と南は山となる。宮川との標高差一三〇メートルの要害の地にある中世末期の山城跡。「飛州志」は最初の城主は古川二郎で、その後塩屋筑前守秋貞が城主となったとする。もとは古川城といったが、天正一三年(一五八五)金森長近が飛騨に攻入りこの城にいたとき「城地ニ古昔ヨリ蛤石ト称スル奇石」があるため、城名を改めたという。高さ約一メートル、卵形の蛤石は物見ものみ坂を上った所にあり、蛤を多く並べたように見える球状花崗閃緑岩である。二水記(内閣文庫蔵)享禄三年(一五三〇)七月一日条に「姉小路北向近日下国」とある。北向とは姉小路済俊の弟高綱で、古川城主であったが、その知行地内訌が起こったので下向したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android