蟹町(読み)かにはみまち

日本歴史地名大系 「蟹町」の解説


かにはみまち

[現在地名]小倉北区大手町おおてまち

西曲輪の南に位置し、東のむらさき川に架かる豊後橋を渡ると東曲輪に通じる。「蟹喰橋の内にても、鷹匠町の辺は入江の沼にてもありしか」と伝える(倉府俗話伝)町並は東西に広がる。寛永元年(一六二四)「かにはミ」で出火(永青文庫蔵「日帳」同年八月七日条)。同九年小笠原氏に随従した播磨の新田安兵衛は当町で商人となり、米屋と称したという(「小倉商家由緒記」など)


蟹町
かにまち

[現在地名]柳川市蟹町

西魚屋にしうおや町より北へ続く通りに沿った両側町。町人地。北端材木ざいもく町に至る。中ほどで東にかみ町へ達するよこ町が分れる。西へ分れる道は妙経寺みようきようじ道といい、糀屋こうじや桂林けいりん寺に至る。柳川城下のなかでも古くに成立した町といい、町名は往古海辺で蟹が多かったことに由来するとされる(柳河明証図会)。享保八年(一七二三)から同一一年の状況を示すとみられる町小路等絵図によれば竈数九〇。道幅二間余・長さ九八間余(柳川惣町図)。毎年七月九日に帷子市が開かれ、他国からも多くの人が商売に集まり賑わったが、江戸時代後期には旅商人は禁じられた(柳河明証図会)。享保一二年閏一月晦日、当町より出火、市街寺院など多くを焼く火事となった(旧柳川藩志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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