袋井用水
ふくろいようすい
鮎喰川右岸、徳島市鮎喰町二丁目の湧水池を水源とし、北東流して島田・田宮・蔵本地区方面を灌漑する用水。年未詳寅八月晦日の袋井掘上来歴申上覚書(民政資料)によれば、名東郡島田村の庄屋佐藤(のち楠藤)吉左衛門は低湿地である同村の畠作が難渋しているのをみて、元禄五年(一六九二)に東名東村地内の「蒲」(湧水)を「袋井」に仕立てることを徳島藩に願出、工事に取りかかったものの水源を見つけることができず、藩からも中断を勧告された。しかし吉左衛門は私財を投じて工事を続行し、五ヶ所遍路と称して四国霊場の大日寺・常楽寺・国分寺・観音寺・井戸寺に一〇〇日間連続して祈願したところ、満願の日に水脈を見つけ、元禄一二年七月に用水工事を終了することができた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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