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裴行倹 はいこうけんPei Xing-jian; P`ei Hsing-chien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

裴行倹
はいこうけん
Pei Xing-jian; P`ei Hsing-chien

[生]武徳2(619)
[没]永淳1(682).4.28. 長安
中国,唐初の名将。河東聞喜 (山西省聞喜県) の名門の出。字は守約。明経出身。長安令,安西大都護,吏部侍郎,礼部尚書など内外の要官を歴任。特に西域の情勢に精通し,儀鳳1 (676) 年吐蕃 (とばん) の征討を指揮し,翌年からは唐に亡命したササン朝ペルシアの王子を送り届ける名目で西突厥に遠征。砕葉城 (→スーイ・アーブ ) に紀功碑を建て凱旋,晩年にも東突厥を征し大勝した。草書に巧みで,著作も多かったが今日は伝わらない。

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世界大百科事典 第2版の解説

はいこうけん【裴行倹 Péi Xíng jiǎn】

619‐682
中国,唐代の政治家,武将。字は守約。絳州聞喜(山西省)の人。明経にあげられ長安令に昇進したが,則天武后冊立に反対して西州都督府長史に左遷された。のち吏部侍郎,礼部尚書を歴任し,有能を高く評価されたが,彼の顕著な功績は,精通した西域事情に基づく吐蕃(とばん)・突厥(とつくつ)の討伐である。ササン朝の亡命王子泥涅師師Narsesを復帰させる名目で安撫大食使となって西突厥を討ち,その本拠砕葉城に紀功碑をたてたことはとくに有名である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

裴行倹
はいこうけん
(619―682)

中国、初唐の名将。絳州聞喜(こうしゅうぶんき)(山西省聞喜県)の人。明経(めいけい)にあげられ、657年に長安令となった。則天武后(そくてんぶこう)を皇后とするのに反対し、西州都督(ととく)府長史に左遷されたが、西域(せいいき)経営に努め、665年安西大都護となった。669~679年吏部侍郎(りぶじろう)に在任し、官人登用に基準を定めて有能をうたわれた。用兵にも長じ、676年(とうしゅう)道左二軍総管に任命されて吐蕃(とばん)を討伐して以来、ふたたび西域経略にも従事した。679年には唐に亡命したササン朝ペルシアの王子を送り返すに事寄せて、西突厥(とっけつ)を討って砕葉(さいよう)城を築き、文武兼資を称されて礼部尚書(しょうしょ)兼検校(けんこう)右衛大将軍となった。その後、定襄(ていじょう)道行軍大総管として兵30余万を率いて東突厥を討ち、681年これを平定したが翌年病没した。彼は草書に巧みで、文集20巻などの著作があったが、いまは伝わらない。[金子修一]

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