特定の金属2種を素材とするおのおのの鋳貨をともに本位貨幣・無制限法貨とした貨幣制度をいうが、その通常の形態は金銀複本位制度である。金銀複本位制度は、同じ貨幣名をもつ金・銀鋳貨の自由鋳造(金・銀地金(じがね)を輸納して金・銀貨鋳造が求められれば政府はこれに応じること)が認められるとともに、金・銀両金属の比価(交換比率)が法定されている制度である。複本位制度は金本位制度などの単本位制度と対比した制度であるが、歴史上実際には、これもまたどちらかの金属の単本位制度であった。つまり、市場における金銀比価(地金としてのその時々の交換比率)はつねに変動するのに対して、法定比価は固定的であるため、どちらかの金属を割高に評価することとなり、結果的に割安に評価された金属鋳貨は溶解され、輸出されてしまい、割高評価の金属が本位貨幣として流通したからである。このことから、複本位制度は交替本位制度ともいわれ、銀本位制度から金本位制度への過渡的貨幣制度であった。
なお、複本位制度のなかでもこのような典型的な制度に対して、金銀比価を法定せずに市場比価の実勢にゆだねる制度を平行本位制度とよんで区別している。
[齊藤 正]
異なった金属を素材とする本位貨幣が併存し,それらの間の比価(交換比率)を法定するものをいうが,その通常の形態は金銀複本位制度である。本位貨幣が単一の金属のものを単本位制度という。ヨーロッパでは古くから金貨と銀貨がならんで流通していたが,近代にはいって金銀両貨の比価を法定するようになり,金銀複本位制度が成立した。複本位制度では,複数の本位貨幣間の法定比価と市場比価との間に大きな開きがあらわれたとき,問題が生じ,市場価格が法定比価より大きく下落した本位貨幣だけが流通するようになる。19世紀のヨーロッパ大陸の金銀複本位制国が,銀の市場価格の継続的な低落の影響をうけて,事実上銀単本位制国となったのは,その顕著な例である。その後,複本位制度への復活が試みられたが,19世紀末葉以降これらの国は金本位制度に移行し,金銀複本位制度は姿を消した。日本では,1871年(明治4)金本位制度による近代貨幣制度の成立をみたが,78年対外支払のために発行していた貿易銀(1円銀貨)の国内一般通用をみとめた結果,事実上金銀複本位制度と異ならないものとなった。しかし,86年には事実上銀単本位制度となり,97年には金本位制度に移行した。
執筆者:新保 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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