日本歴史地名大系 「西坂村」の解説 西坂村にしさかむら 滋賀県:坂田郡米原町西坂村[現在地名]米原町西坂蓮華寺(れんげじ)村の東、松尾寺(まつおじ)山の西麓に位置し、三方を山に囲まれ北西に狭い平地が開ける。山頂の松尾寺へ登る坂道の入口にあり、西坂の名称がついた。「にっさか」ともよぶ。かつては当村に至るには三方より坂道があり、三坂(さんさか)と称したという(坂田郡志)。天正一九年(一五九一)四月の御蔵入目録(林文書)に村名がみえ、高一六一石余。慶長高辻帳では高一八二石余。 西坂村にしざかむら 千葉県:佐原市西坂村[現在地名]佐原市西坂・みずほ台(だい)和田(わだ)村の北に位置し、台地からなる。元禄(一六八八―一七〇四)以前は坂(さか)村と称され、元禄郷帳の西坂村の村名に「古は坂村」の注記がある。慶長四年(一五九九)の矢作領検地では坂村として検地高一六八石(「部冊帳」伊能家文書)。村高は幕末までほぼ同じとみられる。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図にも坂村とみえる。元禄一三年頃の下総国各村級分では旗本有馬・新見領の相給で、以後変化なく幕末に至ったとみられる(旧高旧領取調帳など)。享保四年(一七一九)当時は有馬領一一八石余・新見領四九石余(前掲部冊帳)。 西坂村にしくずさかむら 富山県:婦負郡八尾町西坂村[現在地名]八尾町西葛坂東葛坂村の西、野積(のづみ)川下流左岸にある。正保郷帳に村名がみえるが、村高などは西川倉(にしかわくら)村と合せて記される。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では西の油(あぶら)村に村続きの枝村新田としてみえ、高六七石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by