日本歴史地名大系 「西大井村」の解説 西大井村にしおおいむら 神奈川県:足柄上郡大井町西大井村[現在地名]大井町西大井西境を酒匂(さかわ)川が流れ、東は上大井(かみおおい)村、北は金手(かなで)村、南は鬼柳(おにやなぎ)村(現小田原市)と接し、村内を南北に小田原道が通る。酒匂川より分水した鬼柳堰が南流する。中世は大井庄の一部で、小田原衆所領役帳には「太井」を冠する地名がみえる。正保国絵図に「西大井」とあり、この間に分村したと思われる(→上大井村)。近世は小田原藩領、その間宝永五年(一七〇八)より享保元年(一七一六)まで幕府直轄領、同一六年五月、酒匂川土手決壊により翌年より天明三年(一七八三)まで再び幕府直轄領に編入。 西大井村にしおおいむら 和歌山県:那賀郡打田町西大井村[現在地名]打田町西大井馬場(ばば)村の東にあり、南は上野(うえの)村、東は東大井・辺土(くるべき)・打田の諸村。村内を海神(うながみ)川が南西流する。中世は田中(たなか)庄に含まれた。慶長検地高目録では村高四六二石余、小物成四斗九升九合。田中組に属し、元禄二年(一六八九)の田中組指出帳(田中家文書)によると田方が四〇七・八四八石(二六町二反余)、畠方が五五・五〇八石(四町六反余)、家数四〇、人数二六三、馬七、牛一二。延享元年(一七四四)の田中組大指出帳写(桂原家文書)では家数六四で内訳は本役二六・半役一九・無役一五・庄屋一・肝煎二・あるき一、岩出(いわで)(現岩出町)・麻生津(おうづ)(現那賀町)・竹房(たけふさ)の渡船代として合せて米二斗八升、麦八斗三升を出すとある。 西大井村にしおおいむら 福井県:鯖江市西大井村[現在地名]鯖江市西大井町三床(みとこ)山の北麓、持明寺(じみようじ)村の西に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では丹生北郡中に村名がみえ、高五七〇・九一石。正保郷帳によると田方四七一石・畠方九九石余。延享元年(一七四四)の越前国丹生郡西大井村高反別小前帳(西大井町区有文書)によると家数五六、人数二五〇。初め福井藩領、正保二年(一六四五)吉江藩領、延宝二年(一六七四)福井藩領、貞享三年(一六八六)幕府領、明和元年(一七六四)三河国西尾藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by