日本歴史地名大系 「西小姓町」の解説 西小姓町にしこしようまち 福岡県:福岡市中央区福岡城下西小姓町[現在地名]中央区大名(だいみよう)一丁目養巴(ようは)ノ丁東部の南に位置する東西の通りの両側町。福岡博多近隣古図では「薬院西小姓町」と記される武家町で、東西一〇八間二尺。「御カチ」(御陸士)が多く居住し、南は薬院川端(やくいんかわばた)、西は林毛(りんもう)町。宝永分限帳(集成)では、「西小性(ママ)町」北側に東郷伝太夫など六名、南側に永野源八など一二名の士屋敷がみえる。享保五年(一七二〇)六月に大雨で田島(たしま)川の土手が切れ、鳥飼(とりかい)村・新大工(しんだいく)町に水が押寄せ、当町および薬院・薬院川端・中庄(なかしよう)村・今泉(いまいずみ)村は浸水、土手(どて)ノ丁・天神(てんじん)ノ丁・橋口(はしぐち)町付近は小船で往来した。 西小姓町にしこしようまち 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉北区小倉城下西小姓町[現在地名]小倉北区田町(たまち)田町一―二丁目の東にある。東部は三の丸の堀に面した片側町。「倉府俗話伝」に「小姓町、田町、鍛冶町、紺屋町辺は皆以て田畑或は沼なりし由」とあり、細川氏の代に東曲輪・西曲輪に小姓を並置した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by