西岡竹次郎(読み)ニシオカ タケジロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「西岡竹次郎」の解説

西岡 竹次郎
ニシオカ タケジロウ


肩書
長崎県知事,衆院議員(政友会),長崎民友新聞社長

旧名・旧姓
旧姓=手島

生年月日
明治23年5月28日

出生地
長崎県長崎市

学歴
早稲田大学法科〔大正5年〕卒

経歴
在学中、都新聞記者となり、青年急進党を結成、「普選即行、治安警察法撤廃」を主張。大正5年雑誌「青年雄弁」を発行。6年普通選挙期成同盟幹事、8年青年改造連盟を結成、普選運動尽力。この間検挙投獄7回。10年ロンドン大学留学、帰国後13年衆院議員に当選、中正倶楽部に属したが、選挙法違反で失脚。昭和3年の総選挙で議員に復帰、立憲政友会所属。戦時中は興亜議員同盟に属し、当選6回。一方大正13年「長崎民友新聞」を創刊、戦時統合で「長崎日報」となり、19年同紙会長。戦後「長崎民友新聞」を復刊、社長。22年公職追放、25年解除、26年長崎県知事に当選、30年再選した。

没年月日
昭和33年1月14日

家族
妻=西岡 ハル(参院議員) 長男=西岡 武夫(参院議員) 息子=西岡 公夫(長崎県議)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「西岡竹次郎」の解説

西岡 竹次郎
ニシオカ タケジロウ

大正・昭和期の政治家,新聞人 長崎県知事;衆院議員(政友会);長崎民友新聞社長。



生年
明治23(1890)年5月28日

没年
昭和33(1958)年1月14日

出生地
長崎県長崎市

旧姓(旧名)
手島

学歴〔年〕
早稲田大学法科〔大正5年〕卒

経歴
在学中、都新聞記者となり、青年急進党を結成、「普選即行、治安警察法撤廃」を主張。大正5年雑誌「青年雄弁」を発行。6年普通選挙期成同盟幹事、8年青年改造連盟を結成、普選運動に尽力。この間検挙投獄7回。10年ロンドン大学留学、帰国後13年衆院議員に当選、中正倶楽部に属したが、選挙法違反で失脚。昭和3年の総選挙で議員に復帰、立憲政友会所属。戦時中は興亜議員同盟に属し、当選6回。一方大正13年「長崎民友新聞」を創刊、戦時統合で「長崎日報」となり、19年同紙会長。戦後「長崎民友新聞」を復刊、社長。22年公職追放、25年解除、26年長崎県知事に当選、30年再選した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西岡竹次郎」の解説

西岡竹次郎 にしおか-たけじろう

1890-1958 大正-昭和時代の政治家。
明治23年5月28日生まれ。西岡武夫の父。普選期成同盟会,青年改造連盟に参加して普選運動を推進。大正13年衆議院議員(当選6回,政友会)。この間「長崎民友新聞」「佐世保民友新聞」を創刊し社長。戦後,公職追放ののち昭和26年長崎県知事(当選2回)。昭和33年1月14日死去。67歳。長崎県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西岡竹次郎」の解説

西岡 竹次郎 (にしおか たけじろう)

生年月日:1890年5月28日
大正時代;昭和時代の政治家;新聞人。衆議院議員
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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