男子普選平等選挙権の獲得運動。
議会に対する請願と大衆への啓蒙を内容とする段階。自由民権運動のなかから,中江兆民らの普選論が生まれたが,それはごく一部で,有権者は納税者に限るという考え方が一般的であった。1892年東洋自由党の党内組織として普通選挙期成同盟会が設立されたが,継続的な運動としては97年,松本に中村太八郎,木下尚江らにより同名の組織が結成されたことに始まる。同盟会は99年東京に進出し,翌年1月第14議会に請願書を提出,1902年第16議会で河野広中,花井卓蔵らの名で法案を提出した。同盟会は当初民権運動の残党と新進の言論人を主力として出発したが,幸徳秋水,片山潜ら社会主義協会や労働組合期成会のメンバーが参加し,《万朝報》《二六新報》などの有力紙も後援し,反藩閥専制の統一戦線組織の役割を果たした。02年から03年にかけての日露戦争直前の時期が同盟会の最盛期で,東京とその周辺に限定されてはいたが,活発な演説活動を行った。日露戦争により運動は沈滞したが,平民社による請願運動は継続した。戦後社会主義者と急進主義者との連帯行動が復活したが,07年から09年にかけて,無政府主義の進出による社会主義陣営の分裂により運動は沈滞した。10年からやや活気をとりもどし,11年の第27議会では衆議院を法案が通過した。貴族院は法案を一蹴し,第2次桂太郎内閣は普選要求を社会主義に準ずるものとして弾圧し,同年5月同盟会を解散に追い込んだ。第1次護憲運動でも普選要求は掲げられず,第1次大戦下民本主義の鼓吹のなかで普選は唱えられたが,組織運動は禁圧された。
全国的大衆運動の時期。1919年第41議会下同盟会は活動を再開,友愛会をはじめ新興の労働組合も普選を要求し,運動は大都市を中心に全国化した。20年初めの第42議会で久しぶりに法案が上程され,運動は激化し,東京では万を超える規模のデモと集会が繰り返された。しかし運動は憲政会有志に指導される全国普選連合会系と,労働組合系とに二分される傾向をみせ,院内でも無条件納税資格撤廃の国民党と,独立生計者のみに有権者を限る憲政会とは別個に法案を提出した。原敬は普選即行は社会組織に打撃を与えるとして議会解散を断行。政友会の大勝とアナルコ・サンディカリスムの労働界への浸透により普選運動は一時衰えた。
1922年第45議会で憲政会が独立生計条項を取り下げたため初めて院内統一普選法案が提出され,全国主要9紙も共同宣言を発し,普選運動は翌年の第46議会にかけ第42議会当時を上回る盛況を呈した。日本共産党とその影響をうけた日本労働総同盟など無産勢力主流は,議会主義反対の立場で運動に参加せず,運動の指導権は憲政会が握り,各地の市民政社的運動団体をその傘下におさめ,党勢を拡大した。加藤友三郎内閣は22年10月衆議院議員選挙法調査会を閣内に設け,納税資格完全撤廃にいたらぬ選挙権拡張の答申を経て23年7月臨時法制審議会に諮問した。関東大震災時成立の第2次山本権兵衛内閣は普選を決意,法制審議会もその意に沿った答申を11月に行ったが,法案提出前に内閣は倒れた。
代わる清浦奎吾(けいご)内閣に対する第2次護憲運動は普選を主要な旗印とした。清浦内閣は独立生計条項を固執し,24年5月第15回総選挙で護憲三派が圧勝したことによって普選実現の道が開けた。25年第50議会に,政府は25歳以上の男子に選挙権を与えることを主内容とする普選法案を治安維持法と抱合せのかたちで提出。枢密院,貴族院の保守派は独立生計条項付加を策動,黒竜会などの右翼もこれに呼応し,法案は難航をきわめ,会期延長後3月29日成立,5月5日公布された。この間ほとんど傍観していた無産勢力は,以後,各派とも年齢引下げ,男女平等普通選挙を要求項目に掲げたが,この問題を主題とする大衆運動は起こらなかった。また24年に結成された婦人参政権獲得期成同盟会(翌年婦選獲得同盟と改称)の運動も戦前実を結ばず,男女平等普選は1945年12月17日の選挙法改正公布により実現した。
執筆者:松尾 尊兊
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明治中期~大正期の衆議院議員選挙での男子の普通選挙(普選)実現を求めた政治運動。1890年(明治23)の衆議院議員選挙法は,直接国税15円以上を納める25歳以上の男子に選挙権を与えるという制限選挙を定めた。民党側は選挙権の拡張を求め,92年東洋自由党が普選を唱えたがまもなく解党。90年代末には対外硬派・社会主義者などが普通選挙期成同盟会を結成。1902年普選案が衆議院に提出されたが否決された。その後,代議士の間に支持者を広め,11年には衆議院を通過したが貴族院で否決。一時,運動は下火となったが,第1次大戦直後には,世界的なデモクラシーの風潮を背景に,知識人グループや労働組合を中心とする民衆運動として高まった。20年(大正9)野党の憲政会・立憲国民党が普選案を提出したが,原内閣と与党の立憲政友会が反対し,衆議院の解散で廃案となった。25年選挙権における納税資格の撤廃をもりこんだ選挙法改正案が護憲三派の加藤高明内閣によって提出され,両院で可決成立し,男子の普通選挙が実現した。
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