日本歴史地名大系 「西明屋村」の解説 西明屋村にしあきやむら 群馬県:群馬郡箕郷町西明屋村[現在地名]箕郷町西明屋東明屋村の西にあり、西北から東南に細長く延びる村。西は白(しら)川に沿う丘陵地、東は平地で井野(いの)川・天神(てんじん)川が南流する。西部丘陵地を上の宿(うえのしゆく)といい、東部椿(つばき)山には前方後円墳がある。白川東岸から東明屋にかけて箕輪(みのわ)城跡があり、城跡東南方の平地部に南北に延びる現在の町並は、天正一八年(一五九〇)井伊直政が箕輪城に入ったとき形成された。箕輪城は長野氏の築城と考えられるが、現在の遺構は井伊直政時代のもので、直政はもとの箕輪城の南に新たに大手を開き、大手前の丘地を武家屋敷地とし、東南方に町場を形成して西明屋と命名したという。町場は西から裏宿(うらじゆく)通・本(ほん)通・矢原宿(やばらじゆく)通が南北に通り、北から安国寺(あんこくじ)通(フラフラ横町)・前橋(まえばし)通・富岡生原(とみおかおいばら)道が東西に区切って町並をつくる。町場からは渋川、伊香保(いかほ)(現北群馬郡伊香保町)、前橋、安中、吾妻(あがつま)郡方面へと主要道が延びる。本通には北から連雀(れんじやく)町・仲(なか)町・田(た)町があり、矢原宿通には北から白銀(しろがね)町・矢原宿・本町・鍛冶(かじ)町・四谷(よつや)が並ぶ。裏宿通の南には勘定(かんじよう)町があり、前橋通に面する町を紺屋(こんや)町とよぶ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by