ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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茶室の様式を取り入れた住宅建築様式。数寄とは茶の湯を意味し、数寄屋は茶室をさした。室町後期(16世紀中ごろ)に千利休(せんのりきゅう)がわびの造形として草庵(そうあん)風の手法を茶室に用いて以来、面皮(めんかわ)柱、室床(むろどこ)、下地窓(したじまど)、蒲天井(がまてんじょう)や野根板(のねいた)天井が茶室の主要な構成要素となった。茶の湯が盛行して茶室が社交や遊興の場になるにつれ、客の接待のために格式的な書院や鎖(くさり)の間(ま)(書院と茶室の間に設けられる部屋)も一体化されて、草庵風の手法が好んで用いられるようになるが、このように草庵風の手法を取り入れた建築を数寄屋造という。八条宮智仁(としひと)親王の別邸であった桂(かつら)離宮は、雁行(がんこう)する古書院・中書院・新御殿の書院群が元和(げんな)(1615~24)から寛文(かんぶん)(1661~73)にかけて完成したが、このうち古書院と中書院には面皮柱が使われたり長押(なげし)が省略されているものの、数寄屋的手法は濃厚ではない。これに対して新御殿では長押を面皮とし、襖引手(ふすまひきて)や長押釘隠(くぎかくし)の意匠は奔放で、数寄屋風が一段と進んでいる。17世紀後半につくられた同様の例としては、京都・曼珠院(まんしゅいん)の大書院と小書院、京都・西本願寺黒書院などが名高い。
18世紀にはこの数寄屋の手法は、大名や貴族の邸宅に広く用いられたほか、民家や商家の座敷へも普及して、面皮丸太は床柱や長押、縁側の縁桁(えんげた)や化粧屋根裏天井などにも及んだが、しだいに材料や造作に凝るようになって本来の質素さを失っていった。昭和になって吉田五十八(いそや)(1894―1974)が大壁(おおかべ)造の近代数寄屋造の設計を始めてから、伝統を生かした斬新(ざんしん)な意匠が人気を集め、旅館や料亭はもちろん、個人住宅にも広く浸透した。
[工藤圭章]
『中村昌生編『数寄屋建築集成』全9巻(1978~85・小学館)』
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…また,桃山期は書院に付随してすぐれた庭園が多数作られた時代でもある。 豪華な書院造に対して当代建築の他の一面を代表するものに数寄屋造がある。茶湯の隆盛によって書院風茶室,お茶屋,小間(こま)の茶室など,茶室建築の基本形式が確立された。…
… 住宅建築においては,書院造の建築から固苦しさを排除し,柱や長押などに面皮(めんかわ)材を使うなど,茶室的要素を取り入れて素朴な表現を持った数寄屋建築が普及した。桂離宮をはじめ,三渓園臨春閣,曼殊院書院(1656),西本願寺黒書院(1657)など,武家や公家の別荘建築や寺院の書院また吉村家住宅など民家の座敷にも数寄屋造は取り入れられ,現代に至るまで,和風住宅の基本的形式になっている。 17世紀には伝統的な社寺の復興がさかんに行われたが,それらにみられるものは古典的形式を再現しようとする姿勢である。…
…17世紀中ごろになると,遠侍の車寄は式台付の玄関となり,対面の場も納戸を取り去った床,棚,書院を備えた上段と,次の間が1列に並ぶ形式へと変化してゆく。
[数寄屋造]
近世初期の上層階級の住宅のもう一つの注目しなければならない変化は,数寄屋造の普及である。室町時代に発達した茶の湯は近世初期の武家や貴族にも愛好されたが,その場の一つである草庵風の茶室の要素を,書院造の建築に採り入れたものが,数寄屋造の発生であるとされている。…
※「数寄屋造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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