数寄屋造(読み)スキヤヅクリ

デジタル大辞泉 「数寄屋造」の意味・読み・例文・類語

すきや‐づくり【数寄屋造(り)】

茶室建築の手法を取り入れた住宅様式。長押なげしを省き、面皮柱めんかわばしら荒壁下地窓したじまどなどを用いる。数寄屋普請ぶしん

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精選版 日本国語大辞典 「数寄屋造」の意味・読み・例文・類語

すきや‐づくり【数寄屋造】

〘名〙 茶室風に造られた建物数寄屋普請

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改訂新版 世界大百科事典 「数寄屋造」の意味・わかりやすい解説

数寄屋造 (すきやづくり)

室町中期には侘茶(わびちや)を示す言葉として〈数寄(すき)〉が用いられるようになり,茶の湯を行うところを〈数寄屋〉と称するようになる。1564年(永禄7)編述の《分類草人木》に〈数寄座敷〉と出てくるのが早い例であるが,〈数寄屋〉の語もこのころには見られる。徳川幕府の大棟梁平内(へいのうち)家の伝書《匠明》(1608)に〈茶ノ湯座敷ヲ数寄屋ト名付ク事ハ 右同比 堺ノ宗易云始ル也〉とあり,聚楽第の建設された桃山期に千利休が命名したと伝えられているが,利休時代には,茶の湯座敷小座敷あるいは単に座敷などと呼ばれることが普通であった。数寄屋という語は,桃山時代には茶の湯のための専用の室または建物のことをさしていたが,江戸時代に入るとしだいにその内容が拡大してゆく傾向を示し,茶室の建築手法や意匠をとり入れた座敷のことをも数寄屋と称するようになった。その結果,住宅や料亭,また遊びのための庭園の茶屋のようなものまでが数寄屋と称されるようになった。数寄屋の内容の拡大はその質的な変化にもつながり,利休の確立した茶室の様式とは異質な方向に進む風潮も生じた。そのため利休の曾孫江岑(こうしん)宗左は〈数寄屋と申事,ききにくしとて,小座敷と古より申候,数寄申事をよけ申候〉(《江岑夏書》)と述べて批判的な立場を明らかにしている。《茶譜》にも〈利休流ニ数寄屋ト云事無之,小座敷ト云〉とみえる。

 現在の建築史学界では,数寄屋造を書院造のなかに茶室の意匠がとり入れられた建築であるとみるとらえ方と,茶室との関係を重視せず,書院造を真としたときその行体あるいは草体の洗練された自由な形式とみるとらえ方とが示されている。数寄屋造にみられる一般的な建築的特色としては,(1)柱に丸太や面皮(めんかわ),押角(おしがく)を使い,長押(なげし)にも半丸太や面皮を用い,省略することもある,(2)違棚(ちがいだな),欄間,釘隠(くぎかくし)や襖の引手に自由な意匠,技法を用いる,(3)床(とこ),違棚,付(つけ)書院の配置に定型がない,(4)檜以外に松,杉,栂(つが),竹など多種多様な材料が用いられ,化粧となる木部には色付けが施されることがある,(5)壁は全部が土壁であったり,張付けであっても濃彩を避けて水墨画とし,あるいは絵がなく唐紙を張る,といったことがあげられ,書院造のもつ格式的な建築表現を排除した,軽快で瀟洒(しようしや)な意匠を示す建築である。江戸時代を通じて,書院の櫛形,彫物,唐紙の張付けなどを規制する禁制がしばしば出ており,数寄屋造が階級の枠をこえて普及していたことがわかる。代表的な遺構に,桂離宮の各御殿,本願寺黒書院,曼殊院小書院などがある。

 現代においては,かつてのように茶匠が実質的に茶室を創作することはまれで,かわって建築家による創作が進出した。現代建築技術デザインに熟達し,さらに伝統に対する深い理解を背景に,とくに和風建築を得意とする吉田五十八堀口捨己村野藤吾,谷口吉郎らは,独自の木割と美意識に基づき,伝統的な数寄屋造を新しい様式(現代数寄屋)へと発展させた。
茶室
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「数寄屋造」の意味・わかりやすい解説

数寄屋造
すきやづくり

茶室の様式を取り入れた住宅建築様式。数寄とは茶の湯を意味し、数寄屋は茶室をさした。室町後期(16世紀中ごろ)に千利休(せんのりきゅう)がわびの造形として草庵(そうあん)風の手法を茶室に用いて以来、面皮(めんかわ)柱、室床(むろどこ)、下地窓(したじまど)、蒲天井(がまてんじょう)や野根板(のねいた)天井が茶室の主要な構成要素となった。茶の湯が盛行して茶室が社交や遊興の場になるにつれ、客の接待のために格式的な書院や鎖(くさり)の間(ま)(書院と茶室の間に設けられる部屋)も一体化されて、草庵風の手法が好んで用いられるようになるが、このように草庵風の手法を取り入れた建築を数寄屋造という。八条宮智仁(としひと)親王の別邸であった桂(かつら)離宮は、雁行(がんこう)する古書院・中書院・新御殿の書院群が元和(げんな)(1615~24)から寛文(かんぶん)(1661~73)にかけて完成したが、このうち古書院と中書院には面皮柱が使われたり長押(なげし)が省略されているものの、数寄屋的手法は濃厚ではない。これに対して新御殿では長押を面皮とし、襖引手(ふすまひきて)や長押釘隠(くぎかくし)の意匠は奔放で、数寄屋風が一段と進んでいる。17世紀後半につくられた同様の例としては、京都・曼珠院(まんしゅいん)の大書院と小書院、京都・西本願寺黒書院などが名高い。

 18世紀にはこの数寄屋の手法は、大名や貴族の邸宅に広く用いられたほか、民家や商家の座敷へも普及して、面皮丸太は床柱や長押、縁側の縁桁(えんげた)や化粧屋根裏天井などにも及んだが、しだいに材料や造作に凝るようになって本来の質素さを失っていった。昭和になって吉田五十八(いそや)(1894―1974)が大壁(おおかべ)造の近代数寄屋造の設計を始めてから、伝統を生かした斬新(ざんしん)な意匠が人気を集め、旅館や料亭はもちろん、個人住宅にも広く浸透した。

[工藤圭章]

『中村昌生編『数寄屋建築集成』全9巻(1978~85・小学館)』

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百科事典マイペディア 「数寄屋造」の意味・わかりやすい解説

数寄屋造【すきやづくり】

茶室風の様式をとり入れた住宅建築様式。室町中期に佗茶を示す言葉として〈数寄〉が使われるようになり,茶の湯を行う場所は〈数寄屋〉と称されたが,江戸時代になって広い対象を指すようになった。自然のままの材料を用い,装飾を排除した草庵の趣を書院造に応用したもので,桂離宮の建築等はその代表例。
→関連項目畳割吉田五十八遼廓亭

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「数寄屋造」の意味・わかりやすい解説

数寄屋造
すきやづくり

厳正な書院造に対して,草庵風の丸太や土壁などの意匠を取入れ洗練させた住居様式。柱に角材を用いず隅に皮つきの面皮 (めんかわ) 材を使い,長押 (なげし) を略し (ときには面皮の長押) ,張付壁でなく土壁を用いて天井も棹縁天井とする。桂離宮など上流階級の別荘建築や裏向きの居住空間において用いられた。同様なデザインは草庵の茶室などにもみられ,これらをもとに今日,料亭や一部別荘などに用いられる様式が成立した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「数寄屋造」の解説

数寄屋造
すきやづくり

茶室風の建築で,書院造の一つ
茶室建築の趣向をとり入れた建物で,千利休のころから数寄屋と呼んだ。自然のままの材料を用い,簡素な中に高度に洗練された簡潔美を示す。桃山〜江戸初期にかけて,茶道の流行とともに書院造の中にとり入れられた。日本建築の特色をよく示し,桂離宮はその代表とされる。

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世界大百科事典(旧版)内の数寄屋造の言及

【安土桃山時代美術】より

…また,桃山期は書院に付随してすぐれた庭園が多数作られた時代でもある。 豪華な書院造に対して当代建築の他の一面を代表するものに数寄屋造がある。茶湯の隆盛によって書院風茶室,お茶屋,小間(こま)の茶室など,茶室建築の基本形式が確立された。…

【江戸時代美術】より

… 住宅建築においては,書院造の建築から固苦しさを排除し,柱や長押などに面皮(めんかわ)材を使うなど,茶室的要素を取り入れて素朴な表現を持った数寄屋建築が普及した。桂離宮をはじめ,三渓園臨春閣,曼殊院書院(1656),西本願寺黒書院(1657)など,武家や公家の別荘建築や寺院の書院また吉村家住宅など民家の座敷にも数寄屋造は取り入れられ,現代に至るまで,和風住宅の基本的形式になっている。 17世紀には伝統的な社寺の復興がさかんに行われたが,それらにみられるものは古典的形式を再現しようとする姿勢である。…

【住居】より

…17世紀中ごろになると,遠侍の車寄は式台付の玄関となり,対面の場も納戸を取り去った床,棚,書院を備えた上段と,次の間が1列に並ぶ形式へと変化してゆく。
[数寄屋造]
 近世初期の上層階級の住宅のもう一つの注目しなければならない変化は,数寄屋造の普及である。室町時代に発達した茶の湯は近世初期の武家や貴族にも愛好されたが,その場の一つである草庵風の茶室の要素を,書院造の建築に採り入れたものが,数寄屋造の発生であるとされている。…

※「数寄屋造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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