西本庄村(読み)にしほんじようむら

日本歴史地名大系 「西本庄村」の解説

西本庄村
にしほんじようむら

[現在地名]播磨町本荘ほんじよう三―四丁目・北本荘きたほんじよう一―七丁目

現播磨町の南西部に位置し、南は瀬戸内海に面する。古代には当地域一帯を阿閇あへと称した。「播磨国風土記」の賀古かこ郡の条に、景行天皇が印南別嬢を求めて小嶋に渡る途中「阿閇津に到り、御食みあえを供進りき。故、阿閇の村と号く」と記す。「住吉大社神代記」には、「賀胡郡阿閇津浜一処」の四至として、「東限余郷 南限海棹及 西限大湖尻 北限大路」とある。年未詳の住吉神領年紀(続左丞抄)には阿閇あえ庄がみえ、古代・中世には摂津住吉神社領であった。現在本荘の小字に阿閇あえもとがある。

西本庄村
にしほんじようむら

[現在地名]南部川村西本庄

舞が辻まいがつじ峠の南東麓、南部川沿いに広がる大村。東は東本庄村、南はすじ村。東本庄村の地とともに、中世南部庄の本庄の地にあたるといわれる。慶長検地高目録によれば村高六九〇石余、小物成七斗五升六合。宝暦一〇年(一七六〇)の御上ケ知南部組大指出帳(「日高近世史料」所収)によると村高は慶長検地高目録とほぼ同じで、そのうちには紙木一〇束分の高二斗、茶二五斤半分の高一石三斗五升が含まれる。

西本庄村
にしほんじようむら

[現在地名]篠山市西本荘にしほんじよう

佐貫谷さぬきだに村の東に位置し、南を篠山川が流れる。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「本庄村」とみえ、高八〇七石。正保郷帳でも本庄村として田高六九九石余・畠高一〇七石余。元禄郷帳では高八一一石余。「丹波志」では草上くさのかみ(村雲庄)のうち西本庄として高二六〇石余。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では泉組で、家数四〇・人数一五八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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