見野村(読み)みのむら

日本歴史地名大系 「見野村」の解説

見野村
みのむら

[現在地名]姫路市四郷町見野しごうちようみの

飾東しきとう郡に所属。麻生あさお(小富士山)の東、八家やか川の流域に位置し、北は本郷ほんごう村・中鈴なかすず村。古代の飾磨郡三野みの郷、中世の三野南条みのなんじようの遺称地とされ、南一帯は王野きみの松原ともよばれていた(播磨鑑)。文禄三年(一五九四)六月五日の小出吉政宛の豊臣秀吉知行方目録(金井文書)に、「ミのむら」は「さかむら」(のちの坂元村)とともに一千一八石余とある。慶長国絵図に「ミ乃村」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。


見野村
みのむら

[現在地名]鹿沼市見野

くろ川が足尾あしお山地から平野部に流れ出る扇状地に位置。同川が西境北西から南東に流れ、南は玉田たまだ村、東は富岡とみおか村、西は下遠部しもとおべ村・笹原田ささはらだ村。日光山往古社領六十六郷の一つに「美濃郷」がある(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。応永二二年(一四一五)と推定される正月一七日の日光山執事等連署書状(輪王寺文書)の裏に記された所役配分注文案に飯山いいやま(現宇都宮市)など五ヵ郷とともに「二口半 美濃郷」とある。日光山常行じようぎよう堂は同二一年一二月に大風のため大破し、その修復のための段別銭賦課の割合を記したものと考えられる。


見野村
みのむら

[現在地名]川西市見野一―三丁目・東畦野ひがしうねの五丁目・大和西だいわにし大和東だいわひがし

東畦野村の北、初谷はつたに川下流の左岸に位置する。中世は多田ただ庄のうち。貞和五年(一三四九)先に多田院に寄進されていた西畝野にしうねの村内中島なかじま西平居にしひらい畠地に対し、多田院御家人の「三野又七仲澄」は恩賞として与えられたと称し、年貢雑物などを責取ったため、満願まんがん寺衆徒が度々奉行に訴えている(同年二月日「満願寺衆徒等言上状写」満願寺文書)。一連の文書のなかで三野又七仲澄は塩河又七仲澄と記されている場合もあるから、彼は塩河(塩川)氏の一族で、当地を本拠とする多田院御家人であったのだろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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