デジタル大辞泉
「覚行法親王」の意味・読み・例文・類語
かくぎょう‐ほうしんのう〔カクギヤウホフシンワウ〕【覚行法親王】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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かくぎょう‐ほうしんのうカクギャウホフシンワウ【覚行法親王】
- 白河天皇の第三皇子。仁和寺門跡。出家後、親王宣下を受け、法親王の初例となる。承保二~長治二年(一〇七五‐一一〇五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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覚行法親王 かくぎょうほうしんのう
1075-1105 平安時代後期,白河天皇の第3皇子。
承保(じょうほう)2年4月生まれ。真言宗仁和(にんな)寺の性信にしたがい出家し,寛意から灌頂(かんじょう)をうける。承徳(じょうとく)3年(1099)親王となる。法親王の初例。のち尊勝寺の長吏に任じられた。長治(ちょうじ)2年11月18日死去。31歳。法名ははじめ覚念。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の覚行法親王の言及
【法親王】より
…通説では,法親王は出家した後親王宣下を受けた親王をいい,入道親王は親王宣下を受けた後に出家した親王をいうとされている。また《初例抄》等によると,入道親王の初例は三条天皇の皇子師明親王で,仁和寺に入って性信入道親王と称し,法親王の初例は白河天皇の皇子で,仁和寺に入った後親王宣下を受けた覚行法親王とされている。しかし同一人を法親王あるいは入道親王と称した例もあり,広く出家した親王の意に用いられた場合も少なくない。…
※「覚行法親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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