日本大百科全書(ニッポニカ) 「沈括」の意味・わかりやすい解説
沈括
ちんかつ
(1031―1095)
中国、北宋(ほくそう)代の科学者、政治家。「しんかつ」とも読む。字(あざな)は存中。杭州銭塘(こうしゅうせんとう)県(浙江(せっこう)省杭州)の人。1054年、亡父の位階による任官の恩典を受け地方官になる。1061年に音楽書『楽論』を欧陽修(おうようしゅう)に上呈。1063年、科挙に合格して校書郎となって昭文館(宮中図書館)の書籍の校勘にあたり、他方で、天地を祀(まつ)る儀式の次第を『南郊式』にまとめた。1069年に王安石の政治改革が始まると、水利・灌漑(かんがい)などの政策を担当した。1073年には提挙司天監(国立天文台長)を兼ねて天体観測に従事、1075年『奉元暦』をつくったが、ついに施行されなかった。1074年には判軍器監(兵器廠(しょう)長官)も兼ねて戦車の制度を研究。翌1075年、特使として遼(りょう)に赴き、国境問題を有利に解決、同年、三司使(大蔵大臣)に就任したが、1076年、王安石が失脚、翌1077年沈括も弾劾され地方に左遷された。1080年延州(延安)の知事となり、西夏(せいか)に対する防衛に功をあげた。随筆集『夢渓筆談(むけいひつだん)』は科学技術・芸術・政治その他、広範囲にわたる貴重な内容を多く含んでいる。
[宮島一彦]
『梅原郁訳注『夢渓筆談』1~3(平凡社・東洋文庫)』