日本大百科全書(ニッポニカ) 「性信」の意味・わかりやすい解説
性信
しょうしん
(1005―1085)
平安後期の真言宗の僧。三条(さんじょう)天皇の第4子。仁和寺(にんなじ)の済信(さいしん)(954―1030)の弟子となってすべての法流を受け、仁和寺第2世となる。1059年(康平2)高野山(こうやさん)に登り灌頂院(かんじょういん)建立を発願して護摩(ごま)800余日を修する。天皇家をはじめとする有縁(うえん)の人々のために、孔雀経(くじゃくきょう)法、薬師(やくし)法などを修すること数限りなく、病気平癒、懊悩(おうのう)除滅の効きわめて優れていたので、人々に信仰帰命(きみょう)され、あたかも弘法(こうぼう)大師空海の再来かとまで仰がれた。東密二流の一つ、広沢(ひろさわ)流の法流を大いに広め、弟子の数も多かった。そのなかで寛助(かんじょ)が後継となった。
[平井宥慶 2017年8月21日]