覚超(読み)かくちょう

精選版 日本国語大辞典 「覚超」の意味・読み・例文・類語

かくちょうカクテウ【覚超】

  1. 平安中期の天台宗の僧。比叡山で恵心僧都源信に学び、顕密二教を修めた。横川(よかわ)の都率院で著述に専念して都率の覚超と呼ばれた。台密川流(かわりゅう)の祖。天暦六~長元七年(九五二‐一〇三四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「覚超」の意味・わかりやすい解説

覚超
かくちょう
(960―1034)

平安中期の天台宗の僧。俗姓巨勢(こせ)氏。和泉国(いずみのくに)の出身幼年にして延暦寺に登り良源(りょうげん)・源信(げんしん)・慶円(けいえん)などに師事した。顕密両教に通じ、多くの著述を著し、989年(永祚1)故郷で修善講(しゅぜんこう)を催すなど民衆教化にも努めた。1029年(長元2)には権少僧都(ごんのしょうそうず)に任じられた。源信の法流を継ぐ天台浄土教家として知られ、台密13流の川流(かわりゅう)の祖でもある。

[小原 仁]

『赤松俊秀著「藤原時代浄土教と覚超」(『続鎌倉仏教の研究』所収・1966・平楽寺書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚超」の解説

覚超 かくちょう

960-1034 平安時代中期の僧。
天徳4年生まれ。天台宗。比叡(ひえい)山にのぼって良源に師事。慶円から灌頂(かんじょう)をうける。兜率(とそつ)院,のち横川(よかわ)の首楞厳(しゅりょうごん)院で著作に専念した。台密十三流中,川流の祖。長元7年1月24日死去。75歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。俗姓は巨勢。著作に「東西曼荼羅抄」「往生極楽問答」など。

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