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覚超 かくちょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

覚超 かくちょう

960-1034 平安時代中期の僧。
天徳4年生まれ。天台宗。比叡(ひえい)山にのぼって良源に師事。慶円から灌頂(かんじょう)をうける。兜率(とそつ)院,のち横川(よかわ)の首楞厳(しゅりょうごん)院で著作に専念した。台密十三流中,川流の祖。長元7年1月24日死去。75歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。俗姓は巨勢。著作に「東西曼荼羅抄」「往生極楽問答」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

覚超

没年:長元7.1.24(1034.2.15)
生年:応和2(962)
平安中期の天台宗の僧侶。近江権大掾池辺兄雄の子。和泉国(大阪府)の人。幼くして延暦寺に上り良源の房に入った。良源は覚超がその舌をもって鼻を舐めるの見て,その長広舌から聡明なることを知り弟子にしたという。源信にも師事し顕密(顕教と密教)の学は彼に勝るとも劣らなかった。長元1(1028)年,法橋,同2年権少僧都に任じられた。常に都率院に住したので都率僧都とも呼ばれた。浄土往生を願う比叡山横川の同朋組織廿五三昧会の根本結衆25人のひとりに数えられているが,郷里で修善講を催した際の自作の『修善講式』には,阿弥陀のみならず文殊,釈迦,弥勒,地蔵などの諸尊の名がみえ,また卒塔婆を立て,土地の有縁・無縁の大衆や過去・現在の父母,生者死者などの平等利益が願われるなど,民衆との接点における浄土教の具体相が知られて貴重である。<参考文献>赤松俊秀「藤原時代浄土教と覚超」(『続鎌倉仏教の研究』)

(小原仁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

覚超
かくちょう
(960―1034)

平安中期の天台宗の僧。俗姓は巨勢(こせ)氏。和泉国(いずみのくに)の出身。幼年にして延暦寺に登り良源(りょうげん)・源信(げんしん)・慶円(けいえん)などに師事した。顕密両教に通じ、多くの著述を著し、989年(永祚1)故郷で修善講(しゅぜんこう)を催すなど民衆教化にも努めた。1029年(長元2)には権少僧都(ごんのしょうそうず)に任じられた。源信の法流を継ぐ天台浄土教家として知られ、台密13流の川流(かわりゅう)の祖でもある。[小原 仁]
『赤松俊秀著「藤原時代浄土教と覚超」(『続鎌倉仏教の研究』所収・1966・平楽寺書店)』

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