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観世宗節 かんぜ そうせつ

朝日日本歴史人物事典の解説

観世宗節

没年:天正11.12.5(1584.1.17)
生年:永正6(1509)
室町後期・戦国時代の能役者。本名三郎元忠。父は6世観世大夫元広,母は金春禅鳳の娘。14歳で父に死別して7世観世大夫となる。後見役の観世長俊・元頼父子との不和などの問題を抱えながらも,数度におよぶ勧進猿楽興行をはじめとして精力的に活躍,元亀2(1571)年には徳川家康の知遇を得ている。世阿弥伝書や謡本の書写といった活動も積極的に行っていたらしい。永禄9(1566)年ごろ養嗣子の元尚に大夫職を譲って隠居,その後天正5(1577)年に元尚が没したため遺児鬼若(観世黒雪)の後見に当たった。

(石井倫子)

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世界大百科事典 第2版の解説

かんぜそうせつ【観世宗節】

1509‐83(永正6‐天正11)
7世観世大夫。6世道見の三男。母は金春禅鳳(こんぱるぜんぽう)の女。本名三郎元忠。法名一安斎宗節。14歳で父に死別,観世大夫を継ぐ(《四座役者目録》)。当初は父の従弟観世長俊の指導を得たと想像されるが,長俊・元頼父子とはやがて不和となったようで(《能口伝之聞書》,《親俊日記》天文8年正月25日条ほか),《四座役者目録》には長俊から芸事いっさいを相伝したとあるが信じがたい。むしろ父没後の後見人に人を得ぬまま多くの芸事が退転し,独力で再興せざるを得なかった可能性すら考えられる。

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大辞林 第三版の解説

かんぜそうせつ【観世宗節】

1509~1583) 室町後期・安土桃山時代の能役者。シテ方観世流。本名、元忠もとただ。将軍足利義輝に仕えたが、晩年は家康を頼って三河に下り、その保護をうけた。謡も舞も名手で、当意即妙の舞台を勤めたと伝える。

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