観世黒雪(読み)かんぜこくせつ

改訂新版 世界大百科事典 「観世黒雪」の意味・わかりやすい解説

観世黒雪 (かんぜこくせつ)
生没年:1566-1626(永禄9-寛永3)

第9代観世大夫。8代観世大夫元尚の嫡男。12歳で父に死別,18歳まで祖父観世宗節の薫陶を受けた(《四座役者目録》)。童名鬼若,初名与三郎照氏。1589年(天正17)までに与三郎忠親と改名,さらに左近大夫身愛(ただちか)と改めた。当初は祖父以来の後援徳川家康の根拠地,駿府での活動を主体としたらしいが,1588年ころからは家康の後援の下にしだいに京に進出(《毛利輝元上洛記》),93年(文禄2)には豊臣秀吉より四座の棟梁の一人として配当米を与えられた。しかし翌年4月,秀吉演能中に居眠りをして叱責されること(《駒井日記》)などがあり,秀吉には疎んぜられたらしい。98年(慶長3)秀吉没後の家康の台頭に伴って京での活動が活発化し,翌年10月には聚楽第跡で4日間の勧進能を興行し(《文禄慶長年間御能組》など),南都興福寺神事猿楽への参勤を免除されるなど,徳川家御抱えの大夫としてその地位は安定した。しかるに1610年5月,突如駿府を出奔して高野山に籠居,服部慰安斎暮閑と名のった。家康の梅若など他の役者寵愛に対する反発が原因と伝える(《当代記》など)が,さだかでない。1612年2月には帰参を許され(《享和二年観世大夫由緒書》),観世左近大夫暮閑と称したが往年愛顧は再び戻らず,事実上の逼塞状態が続き,大夫の職責嫡子重成の多く代行するところとなった。1620年(元和6)4月,高弟石田少左衛門友雪により通称元和卯月本百番〉の刊行が着手されたが,暮閑はその底本をみずから校閲・監修し,23年ころ,大夫の正式に関与した最初の観世流謡本として刊行された。この間,1621年夏から翌春のころには出家隠退して黒雪斎と称した。26年12月,61歳で没。辞世歌〈わが宿は風をまがきに露しきて月にうたへる瓢簞の声〉が伝存する。
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朝日日本歴史人物事典 「観世黒雪」の解説

観世黒雪

没年:寛永3.12.9(1627.1.26)
生年:永禄9(1566)
江戸時代の能役者。9世観世大夫。8世元尚の嫡子。童名鬼若。初名与三郎照氏。のち与三郎忠親。隠居名身愛。12歳で父に死別し,18歳まで祖父の宗節の薫陶を受ける。徳川家康に厚く用いられ,駿府から京に進出して徳川家お抱えの大夫として活躍。のち慶長15(1610)年5月に駿府を出奔して高野山に籠もり,服部慰安斎暮閑を名乗ったがその2年後には帰参して観世左近大夫暮閑と称する。観世流謡本で全100番のいわゆる『元和卯月本』の刊行が元和6(1620)年に着手されており,彼は大夫として自らその校閲,監修に当たった。

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世黒雪」の解説

観世黒雪 かんぜ-こくせつ

観世身愛(かんぜ-ただちか)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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