左右に分かれて漢詩をつくり、判者がその優劣を判定して勝負を決める行事。中国では唐代に2人で詩を贈答する戦詩があったが、わが国の詩合とは無関係で、歌合(うたあわせ)の隆盛に影響されて生まれたもの。959年(天徳3)村上(むらかみ)天皇の御前で4人の詩人が10番を合わせたのが最初で、判詞も加えられている。その後「応和(おうわ)三年(963)善秀才(ぜんしゅうさい)宅詩合」「永承(えいしょう)六年(1051)侍臣詩合」「天喜(てんき)四年(1056)殿上(てんじょう)詩合」が行われたが、しだいに文学性を失って遊戯的になり、鎌倉時代には「資実長兼両卿(すけざねながかねりょうきょう)百番詩合」のごとき聯句合(れんくあわせ)が現れるが、やがて衰退していった。
[大曽根章介]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...