日本歴史地名大系 「諸江」の解説
諸江
もろえ
中世地名。勝軒に寄進され、嘉吉二年(一四四二)一二月三日の南禅寺寺領目録(同文書)に「山家散田」一〇ヵ所の一つとして「諸江破出」がみえる。段銭・臨時課役・守護役などが免除された守護使不入の地であったが、守護富樫成春が押領行為をしたので、文安五年(一四四八)一二月一五日の室町将軍家御教書(同文書)で制止された。文亀元年(一五〇一)八月一五日の南禅寺寺領目録(同文書)には「山家散田」とあるのみで細目はないが、名目的にせよ南禅寺領として維持されていたとみられる。しかし、天文五年(一五三六)一〇月七日、同寺が本願寺に知行回復の申付けを求めた寺領四ヵ所には当地は含まれず、同八年六月一二日の申付けも四ヵ村であり、当地は同寺領から離れている。同五年一〇月一二日
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報