諸江(読み)もろえ

日本歴史地名大系 「諸江」の解説

諸江
もろえ

中世地名。倉月くらつき庄のうちで、現諸江町を遺称地とし、現割出わりだし町付近も含んだとみられる。室江とも記された。文和二年(一三五三)四月一〇日の白山本宮臨時祭礼に寺領百姓役として練童以下一一人が勤仕したなかに「諸江三人」とみえ(三宮古記)、南北朝期まで白山宮寺領であった。同書にみえる御油神人の「ムロノ神人」を当地にあてる説もある。応永二四年(一四一七)一二月一三日の摂津満親寄進状(南禅寺文書)によれば「倉月庄内諸江破出・山口破出」の小六〇歩は京都南禅寺勝軒に寄進され、嘉吉二年(一四四二)一二月三日の南禅寺寺領目録(同文書)に「山家散田」一〇ヵ所の一つとして「諸江破出」がみえる。段銭・臨時課役・守護役などが免除された守護使不入の地であったが、守護富樫成春が押領行為をしたので、文安五年(一四四八)一二月一五日の室町将軍家御教書(同文書)で制止された。文亀元年(一五〇一)八月一五日の南禅寺寺領目録(同文書)には「山家散田」とあるのみで細目はないが、名目的にせよ南禅寺領として維持されていたとみられる。しかし、天文五年(一五三六)一〇月七日、同寺が本願寺に知行回復の申付けを求めた寺領四ヵ所には当地は含まれず、同八年六月一二日の申付けも四ヵ村であり、当地は同寺領から離れている。同五年一〇月一二日嵯峨西芳さがさいほう(現京都市西京区)領として申付けを求めたなかに「諸江村」が含まれており(天文日記)、これ以前に南禅寺から西芳寺へ所職の移動があったのであろう。

〔諸江坊〕

当地には諸江殿・諸江坊とよばれる真宗本願寺派の有力寺院があった。同坊は蓮如の妹で、越前石田西光いしださいこう(現福井県鯖江市)永存に嫁した如祐(栃川尼公、文亀二年没)が、文明一三年(一四八一)三月の永存没後、同一五年頃までに四男蓮実(永正三年没)とともに「加州ニ室江ト云所ニ一宇ヲツクリ」住したことに始まるという(反古裏書)。次いで藤島超勝ふじしまちようしよう寺玄慶の五男如慶(永正一六年没)も「賀州諸江」に住しており(日野一流系図)、蓮実もしくは如祐の没後、加慶が諸江坊を継いだものと思われるが、如慶の開基で如祐が住んだとする説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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