贄野池
にえののいけ
新野池とも記す。「八雲御抄」に載る歌枕だが、古代・中世の散文に多く出る。
<資料は省略されています>
いずれも初瀬詣で平安京から奈良への道すがらの記事で、泉川は木津川、「その山」は栗隈山である。池は往来のさかんな奈良街道沿いにあった。また治承四年(一一八〇)の乱では、宇治で敗れた高倉宮が大和へ逃れんとしたことについて「愚管抄」が「贄野ノ池ヲ過ル程ニテ、追ツキテ宮ヲバ打トリマイラセテケリ」と記す。この事に関連した「平家物語」「源平盛衰記」の記述では「新野池」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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