日本歴史地名大系 「赤尾木城跡」の解説 赤尾木城跡あかおぎじようあと 鹿児島県:西之表市西之表村赤尾木城跡[現在地名]西之表市西之表西之表港の東側に位置する。同港を見下ろす標高四五メートルを最高地点とする台地と、その周囲を主とする山城。種子島(たねがしま)城、榕(よう)城ともいう。「薩隅日三州他家古城主来由記」は最初の城主を種子島信式とする。信式は種子島氏の二代目とされているが(種子島家譜)、実在しない。種子島氏は元来大隅守護代で、種子島の地頭であった肥後氏が南北朝期に種子島の領主となったもので、観応二年(一三五一)北朝方の畠山直顕より誘いを受けた肥後中務太郎(同年四月二二日「畠山修理亮書下」同家譜)が前記家譜では五代目時基となっており、六代目時充は永和二年(一三七六)今川満範より島津氏久に対抗するよう要請された際(一一月一九日「今川了俊書状」同家譜)、初めて種子島という名字でよばれた。島名を名字に使用できたのは種子島の領主となったためで、種子島氏は一四世紀半ば以前に本(ほん)城(赤尾木城の北西に接する山城)を拠城にして、種子島を自己の所領にしたのである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by