日本歴史地名大系 「走田神社」の解説 走田神社はしりたじんじや 京都府:長岡京市奥海印寺村走田神社[現在地名]長岡京市奥海印寺奥海印寺(おくかいいんじ)の北端、長法(ちようほう)寺との境の小高い山の中腹に南面し、寂照(じやくしよう)院の背後から長い石段を登って社頭に達する。祭神は天児屋根(あめのこやね)命・武甕槌(たけみかづち)神・経津主(ふつぬし)神・姫(ひめ)大神。旧村社。「延喜式」神名帳の乙訓(おとくに)郡一九座のうちにみえる同名社に比定される。ただし「延喜式」以来社名を伝えてきたわけではない。「雍州府志」には記載がなく、「山州名跡志」は「妙見社 在同所(海印寺)後山林中、鳥居南向木柱、(中略)拝殿南向、社同、土人為産沙神、例祭九月廿一日 社記未考」とする。 走田神社はせだじんじや 京都府:亀岡市余部村走田神社[現在地名]亀岡市余部町旧丹後道より南、曾我谷(そがたに)川の北岸新家(しんけ)集落の近くにある。「延喜式」神名帳にみえる桑田郡「走(ハシリ) 田(タノ)神社」に比定される。祭神は彦火火出見尊・草葺不合尊・豊玉姫命。旧郷社。余部(あまるべ)・安町(やすまち)・穴川(あながわ)の氏神。創建年代は明らかでないが、社伝は和銅四年(七一一)とする。「桑下漫録」は、走田は馳田とも書き、往昔社前の木馬が、毎夜外に出て草を食べ歩いたので、その蹄跡が不鳴(ならず)川となったといい、その川水が近郷の田地の用水となり干涸の憂いがなく、それより走田の名が生じたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by