趙昌(読み)ちょうしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「趙昌」の意味・わかりやすい解説

趙昌
ちょうしょう

生没年不詳。中国、五代、北宋(ほくそう)初めの画家黄筌(こうせん)、徐煕(じょき)後の北宋の花鳥画を代表する花鳥画家で、真宗(しんそう)朝(997~1022)に活躍した。字(あざな)は昌之。剣南(成都)、一説に広漢〔ともに四川(しせん)省〕の人。蜀(しょく)の花鳥画家滕昌祐(とうしょうゆう)を師としたが、技量は師をしのぐに至り、その画(え)を求める有力者も多かったがなかなか与えず、晩年には旧作を買い戻したという。真作は現存せず、具体的な画風は不明だが、黄筌風の花鳥画を描き、のち徐煕風の没骨(もっこつ)法を折衷したと考えられている。また、枝の一部を写した折枝(せっし)画を創始したとも考えられ、伝称作品には折枝画が多い。朝に夕に花園を巡って草、花、虫の形と色を研究し、自ら「写生趙昌」と号したと伝え、北宋後半の花鳥画は彼から大きな影響を受けていると思われる。後世の模作とともに偽作も多い。

[星山晋也]

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百科事典マイペディア 「趙昌」の意味・わかりやすい解説

趙昌【ちょうしょう】

中国,北宋初めの花鳥画家。生没年不詳。四川省の人。字は昌之。花卉(かき)の観察と写生に努め,折枝,蔬果(そか),草虫を巧みにしたと伝える。真作は残っていないが,評伝から簡略描写,色彩本位の画家と考えられる。
→関連項目銭選

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