生没年不詳。中国、13世紀後半の元(げん)初に活躍した画家。字(あざな)は舜挙(しゅんきょ)。号は玉潭(ぎょくたん)、巽峯(そんぽう)、習嬾(しゅうらん)翁、川(とうせん)翁など。呉興(浙江(せっこう)省湖州市)の人で、南宋(なんそう)の景定年間(1260~1264)の郷貢進士(科挙に応ずる資格を得た者)。元初に趙孟頫(ちょうもうふ)(子昂(すごう))らとともに呉興の八俊の一人に数えられ、子昂らは元朝に仕えたが、銭選は仕官せず、生涯を詩書画に打ち込んで処士で一生を送った。山水、人物、花鳥を得意とし、人物画は李公麟(りこうりん)、山水は趙令穣(ちょうれいじょう)、青緑山水は趙伯駒(はっく)、花鳥は趙昌(ちょうしょう)を学んだという。いずれも北宋(そう)の画家に範を求め、院体画風の復古を目ざし、趙子昂をはじめ文人、士大夫画家によって元初に行われた絵画の復古運動の一環を、高克恭(こうこくきょう)らとともに担った。作品に『蘭亭観鵝(らんていかんが)図巻』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などがあげられ、その画風は写実的で着色の美しさを旨とし、日本にも多くの小品が伝わり、とくに花卉(かき)の折枝画(せつしが)に特徴があるとするが、確かなものは少ない。
[星山晋也]
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中国,宋末・元初の画家。生没年不明。呉興(浙江省湖州)の人。字は舜挙。号は巽峯(そんほう),清癯(せいく)老人,霅川翁(ちようせんおう)など。詩書画をよくする文人で,趙孟頫(ちようもうふ)らとともに呉興八俊と呼ばれた。南宋の景定年間(1260-64)の進士で,宋滅亡後は仕官せず,大徳年間(1297-1307)あたりまで在世していた。花鳥画,山水画を得意とし,花鳥画では南宋院体花鳥の写実性により形態の堅固さを加え,山水画では北宋の趙令穣に学び,さらに唐代の青緑山水にまでさかのぼって古様な様式を復興させた。
執筆者:戸田 禎佑
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