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黄筌 こうせん Huang Quan

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黄筌
こうせん
Huang Quan

[生]?
[没]乾徳3(965).9.2.
中国,五代,宋初の画家。成都 (四川省) の人。字は要叔。前蜀の後主に仕え,次いで後蜀の翰林院待詔となり,後蜀の滅亡時に弟の惟亮 (いりょう) ,子の居宝,居さいらと宋都 汴京 (べんけい。開封) に移りそこで没した。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐せん〔クワウ‐〕【黄筌】

[?~965]中国五代、蜀(しょく)の画家。成都(四川省)の人。字(あざな)は要叔。花鳥画を得意とし、黄氏体を創始。

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百科事典マイペディアの解説

黄筌【こうせん】

中国,五代の画家。字は要叔。成都の人。蜀の宮廷に仕え,その滅亡後宋に仕えたがまもなく没した。【ちょう】光胤(ちょうこういん)に唐朝の画技を学び,後世黄氏体呼ばれる花鳥画法を創出した。
→関連項目鉤勒徐煕

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世界大百科事典 第2版の解説

こうせん【黄筌 Huáng Quán】

?‐965
中国,五代蜀の画家。字は要叔。成都(四川省)の人。若くして前蜀の王衍に仕え,後蜀では翰林院待詔となった。後蜀滅亡後,一族とともに宋都汴京(べんけい)(開封)に赴いてほどなく没した。幅広い主題をこなしたが,特に鉤勒塡彩(こうろくてんさい)の華麗な花鳥画で知られ,その一派の画風は,江南の徐氏体に対し黄氏体と呼ばれ,北宋前期の院体花鳥画の主導的な様式となった。【戸田 禎佑】

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大辞林 第三版の解説

こうせん【黄筌】

?~965) 中国、五代の画家。勾勒こうろく画法を創始。 → 黄氏体こうしたい

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世界大百科事典内の黄筌の言及

【花鳥画】より

…中国では六朝時代にすでに蟬雀(せんじやく)図などがかかれ,唐代には薛稷(せつしよく)や辺鸞(へんらん)が鶴,折枝花をかき有名であった。しかし独立の部門として本格的に成立したのは五代からで,蜀に黄筌(こうせん),南唐に徐熙(じよき)が出,花鳥画の二大源流をなした。黄筌と子の黄居寀(こうきよさい)らの黄氏体は,鉤勒塡彩(こうろくてんさい)法を用いて華麗な富貴さに特色があり,徐熙と孫の徐崇嗣らの徐氏体は,水墨と没骨(もつこつ)画法を取り入れて瀟洒な野逸さに特色があった。…

【黄氏体】より

…中国の花鳥画に関する様式用語の一つ。五代の画家,黄筌とその一派に起源をもつ画風をいう。黄筌は蜀(四川省)の人で,蜀滅亡後,宋都汴京(べんけい)に一族とともに赴き,ほどなく没した。…

【五代美術】より

…火や水という不定形なモチーフを技法的に安定させたのも蜀の画壇である。黄筌一派の花鳥画も唐の遺風を伝える華麗で装飾的な画風で,北宋の院体花鳥画に大きな影響を及ぼした。 江南の地は,南唐の治下,繁栄を極め,繊細,優美な文化が展開した。…

【宋代美術】より

… 花鳥画の分野では,北宋初期,宋に併合された蜀と南唐よりもたらされた2様式の対立が目だつ。それぞれ965年と975年に滅亡した蜀と南唐から黄筌(こうせん)様式(黄氏体),徐熙(じよき)様式(徐氏体)が流行した。蜀の併合が南唐の場合より10年早かったこともあって,当初は装飾的で豊麗な黄筌系の画風が優勢であったが,水墨画の発展,文人墨戯の盛行等の画壇の趨勢のなかで,徐熙の名声が黄筌を圧するようになる。…

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