足谷村(読み)あしたにむら

日本歴史地名大系 「足谷村」の解説

足谷村
あしたにむら

[現在地名]八尾町足谷

高瀬たかせ村の南、室牧むろまき川上流左岸の山腹にある。正保郷帳村名みえ村高大道おおどう村と合せて九七石余、田方は三畝余・畑方六町四反余。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高九七石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高三六石余。


足谷村
あしだにむら

[現在地名]本川村足谷

葛原かずらわら川の支流足谷川左岸沿いの山間村近世の郷帳には村名はみえず、小麦畝こむぎうね(現大川村)に含まれる。宝永三年(一七〇六)の「本川郷風土記(南路志)によれば東西七町南北五〇町で、「惣体土地黒、在所南向南下之所也」と記す。

慶長一六年(一六一一)の本川ノ内小麦畝検地帳に村名がみえ五筆記されるが、すべて山畠で一筆に楮の栽培が記され、二筆に「ゐ」「居」とある。


足谷村
あしたにむら

[現在地名]福井市足谷町

丹生山地の北部大芝おおしば山北麓に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「山本之郷」に含まれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む