轆轤町(読み)ろくろちよう

日本歴史地名大系 「轆轤町」の解説

轆轤町
ろくろちよう

東山区松原通大和大路東入二丁目

松原通に位置。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「其(清水門前四町目)西町 轆轤町」として「此町北側に珍皇寺といふ寺有。(中略)又此所は元鳥部野の無常所にして諸の亡者の為にひらけし故、今故に六道と云。(中略)毎年七月九日十日両日、聖霊を迎ふとて、諸人此所へ参詣し、迎鐘とて釣鐘を撞、高野槇とて槇の枝を売。又わさ米などあきなふ。参詣夥し。又此町南側に妙祐寺日蓮宗」と町の景況を描く。六道珍皇ろくどうちんこう寺の門前としての性格が強く、盆時季には大いに賑った。これに六波羅蜜ろくはらみつ寺の所在を考え併せれば、鳥部野とりべのに通ずる宗教的環境が想起される。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中洛外惣町数人家数改日記(「半日閑話」所引)に「坂面町」とあるのが当町にあたる。すなわち延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)建仁けんにん寺門前として「坂面轆轤町」とあり、坂面さかおもてと称するのは、隣接する弓矢町とともに古く清水坂きよみずざか(旧五条坂)坂下に位置していたからである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報